礼拝メッセージ(2021年8月15日)

『 むなしい幻を見ることなく 』   林健一 牧師

それゆえ、主なる神はこう言われる。お前たちはむなしいことを語り、欺きの幻を見ているので、わたしはお前たちに立ち向かう、と主なる神は言われる。わたしの手は、むなしい幻を見る預言者たちと、欺きを占う占い師たちに向けられる。彼らはわたしの民の集いに加えられず、イスラエルの家の記録にも記されず、イスラエルの土地に入ることもできない。そのとき、お前たちはわたしが主なる神であることを知るようになる。平和がないのに、彼らが『平和だ』と言ってわたしの民を惑わすのは、壁を築くときに漆喰を上塗りするようなものだ。漆喰を上塗りする者に言いなさい。『それは、はがれ落ちる』と。豪雨が襲えば、雹よ、お前たちも石のように落ちてくるし、暴風も突如として起こる。壁が崩れ落ちれば、『先に施した上塗りはどこに行ったのか』とお前たちは言われるに違いない。それゆえ、主なる神はこう言われる。わたしは憤りをもって、暴風を起こし、怒りをもって豪雨を降らせ、怒り狂って雹を石のように降らせ、すべてを破壊する。

エゼキエル書 13章:8~16節(新共同訳)
なぜ無関心でいられるのか
 本日は8月15日です。敗戦記念日です。平和をおぼえて祈りましょう。76年前の1945年8月14日、政府はポツダム宣言を受諾し、翌15日の正午、昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられました。これにより第二次世界大戦が終結したと言われています。この戦争による、国内での戦死者は約212万人、空襲による死者は約24万人、全世界では5000万人~8000万の尊い命が亡くなりました。コロナによる直近のデーターで亡くなった人は日本で15,371人、世界で4,333,457人ですから戦争がいかに多くの人たちの命を無残に奪ってしまうということでしょう。
 聖書は平和をつくり出す幸いについて語ります。招詞イザヤ2:4にある「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げずもはや戦うことを学ばない」神さまが私たち人間の争いを裁き戦いでなく平和を学ぶことを教えてくださいます。しかし人間は平和に無関心であり己に心が向かう罪を持った存在であることをエゼキエル13章は教えてくれます。

安心だけを求める人たち
 今日読んだエゼキエル13章は、偽預言者に対する神さまの裁きについて語られています。バビロンに強制移住させられた人々の中には、多くの預言者と呼ばれる人たちがいました。エゼキエル、エレミヤもその中の人たちでした。神さまの言葉を真実に人々に語るのが預言者です。しかし偽預言たちは「幻を見た」と言い、まやかしの占いをし、「主なる神はこう言われる」と言って預言していたのでした。なぜ人々が偽預言者たちの言葉を喜んで聞いたのか?慰めと安心を与えたからです。エゼキエル、エレミヤは神さまからの厳しい裁きの言葉を語りました。「なぜあなたがたはこうなったのか」根本的な問題を伝えました。人々はエゼキエルが語る言葉でなく偽預言者が語る言葉に心許しました。もうこれ以上裁きの言葉は聞きたくない。今は私の心を慰めてほしいんだ。人々はむなしい幻を見ていたのです。