礼拝メッセージ(2022年5月8日)
『 忠実な生き方を神は喜ぶ 』
 林健一 牧師 
ルカによる福音書 16章:1節~13節

16章 01節:イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。

16章 02節:そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』

16章 03節:管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。

16章 04節:そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』

16章 05節:そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。

16章 06節:『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』

16章 07節:また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』

16章 08節:主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。

16章 09節:そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。

16章 10節:ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。

16章 11節:だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。

16章 12節:また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。

16章 13節:どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

ルカによる福音書 16章:1節~13節(新共同訳)

 今日ご一緒に読んだ箇所は、イエスさまが弟子たちに語られた教えの中で、何か釈然としない箇所ではないでしょうか。何をイエスさまはおしゃっておられるのでしょうか。あるところに金持ちの財産を無駄遣いしている管理人がいました。そのことがばれて、主人の監査を受けることになったのです。彼は必死に知恵を働かせ、自分に残された最後の時間を有効に用いて将来に備えます。主人に借りのある人たちを集めて、管理人としての立場を利用して、借金の証文を書き換えさせたのです。イエスさまはこの不正な管理人を倣うべき模範として語っておられます。しかし納得いかない、こんなやり方が褒められていいのだろうか?信仰者として他に正しいやり方があるのではないかと思うから私たちは釈然としないのではないでしょうか。

 イエスさまはなぜこの不正な管理人をほめたのか、その理由が8節後半の「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている」において語られています。イエスさまは弟子たちに、この世の子らが光の子らである自分たちよりも「賢くふるまっている」ことを見つめさせようとしておられます。その「賢さ」とは、「抜け目のない」という言葉が表しているように、置かれた状況への対処の仕方が的確で有効だということです。この世の子らが、自分自身のもの、つまりこの世の事柄に対して賢く熱心であることに倣って、光の子であるあなたがたも、自分自身のものに対して賢く熱心であれ、と言っておられるのです。光の子である弟子たちにとっての自分自身のものとは何でしょうか。それはイエス・キリストによってもたらされたまことの光です。

 神さまのみ言葉によって信仰の目を見開いて自分を見つめるならば、私たちは実にこの管理人と同じ状況に置かれています。私たちは、神さまによって教会へと招かれ、イエスさまの救いの光に照らされ、光の子として歩みなさいとの招きを受けています。この時をしっかりと捉えて、主イエス・キリストとの交わりを確立するために最善を尽すことが私たちに求められているのです。

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