礼拝メッセージ(2022年8月7日)
『 欠けているもの 』
  林健一 牧師 
ルカによる福音書 18章:18節~23節

18章 18節:ある議員がイエスに、「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねた。

18章 19節:イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。

18章 20節:『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」

18章 21節:すると議員は、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。

18章 22節:これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

18章 23節:しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。

ルカによる福音書 18章:18節~23節(新共同訳)

 18節「ある議員がイエスに、『善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか』と尋ねた」。と今日の箇所は始まっています。イエスさまは先ず、彼が「善い先生」と言ったことに対して、「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない」(19)とおっしゃいました。この「善い」は、罪がない、という意味ではなくて、恵み深い、ということです。その「恵み深い」とは、ここで言えば、「永遠の命を与えて下さる」ということです。永遠の命を与えて下さる恵み深い方は神お一人だ、とイエスさまはおっしゃったのです。


 この議員は、「何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と問うています。「何をすれば永遠の命を獲得することができるでしょうか」ではないことに注目しなければなりません。永遠の命は、獲得するものではなくて受け継ぐものだということを彼は知っているのです。受け継ぐとは、遺産として受け継ぐ、継承する、ということです。そのためには、神さまが自分にそれを受け継がせてくれなければなりません。つまり、永遠の命は自分の力で得るものではなくて、神さまが、その恵みによって与えて下さるものなのです。


 そしてイエスさまは、「『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ」(20)とおっしゃいました。つまり、神さまの恵みを得るための道は既に示されている、掟、律法があるではないか、私に新たな道を尋ねるのではなくて、この既に示されている道を歩みなさい、ということです。「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」(21)と言うことができたのです。その彼の答えを受けて、イエスさまは「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい」(22)とおっしゃいました。


 イエスさまが「あなたに欠けているものがまだ一つある」と言っておられるのは、財産を売り払って施しをするというもう一つの善い行いではなくて、自分の持っているもの、あるいは出来ることによって神さまの救いを手に入れようという思いを捨てて、ただ神さまの恵み深さに依り頼み、信頼して生きることなのです。そしてそのようにただ神さまにのみ信頼して生きる者となるために、持っているものを全て売り払い、捨て去って、貧しい人々に分けてやりなさい、とイエスさまは言っておられるのです。