礼拝メッセージ(2023年4月30日)
『 見よ、世の罪を取り除くのは神の子羊だ 』
石井努 牧師
ヨハネによる福音書 1章:19節~30節

 01章 19節:さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、

01章 20節:彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。

01章 21節:彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。

01章 22節:そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」

01章 23節:ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」

01章 24節:遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。

01章 25節:彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、

01章 26節:ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。

01章 27節:その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」

01章 28節:これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。

01章 29節:その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。

01章 30節:『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。

ヨハネによる福音書 1章:19節~30節(新共同訳)

 

 ヨハネは言いました。「わたしは水でバプテスマを授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らないお方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」ヨハネが証したのは、ほかの誰でもなく、「あなたがたの知らないお方がおられる」という事実です。「メシアはあなたがたの中に、確かにおられる」という事実なのです。この事実はわたしたちの時代になるまで2000年の時を刻み続けています。今この教会に、その「知らないお方」は立っていないでしょうか?わたしたちは礼拝の冒頭に「わたしたちを呼び出してくださって礼拝を捧げる幸せを感謝します」と過ぎた週の守りを感謝する、とともに、主に会える喜びを口にします。それは、このイエス様の姿を証ししてくれたヨハネの証言を信じて生きているからではないでしょうか。困難にぶつかったとき、この世の物差しで事態を何とかしようとあがいているとき、クリスチャンであるということを忘れて立ち向かっているとき「あなたの知らないお方は、あなたの所に立っていないのでしょうか。」ここにおられる方々は知っておいでですよね。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」このヨハネの紹介したイエス様こそが、この世の罪を取り除く神の子羊なのです。まさしく、わたしたちの信仰は間違っていなかった。これでよい!と背中を押してもらっているような気さえします。この「神のこ子羊」イエス様は、わたしたちの罪を負ってくださいます。

 重荷を背負っている人に、「その荷が軽くなる方法をお教えしましょう」といっても荷が軽くなるわけではありません。けれど、「その荷を、わたしが代わりに背負いましょう」といって代わってくださったらどうでしょう。当然軽くなりますよね。神の子羊であるイエス様はこのように「あなたの罪」「わたしの罪」をご自身の肩に担ってくださるのです。と、いうことはですよ、わたしたちの肩にその荷はもはやなく、イエス様の肩にあるはずです。そればかりか、ヨハネが言うのには「その罪を取り除く神の子羊である」と言うのです。すでに、「あなたの罪」「わたしの罪」もなくなっている。確かに罪は現実の問題として存在します。しかし、その罪の力はイエス様が贖罪の十字架に架けられた時からすでにその効力を失っているのです。信仰生活とは、「この子羊によって罪は取り除かれた」という事実の中で生きることなのでしょう。