礼拝メッセージ(2024年8月11日)「終末に生きる」 Ⅰコリント10:1~13 石井努牧師

1:コリントの信徒への手紙一/ 10章 01節
兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、
2:コリントの信徒への手紙一/ 10章 02節
皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、
3:コリントの信徒への手紙一/ 10章 03節
皆、同じ霊的な食物を食べ、
4:コリントの信徒への手紙一/ 10章 04節
皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。
5:コリントの信徒への手紙一/ 10章 05節
しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。
6:コリントの信徒への手紙一/ 10章 06節
これらの出来事は、わたしたちを戒める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために。
7:コリントの信徒への手紙一/ 10章 07節
彼らの中のある者がしたように、偶像を礼拝してはいけない。「民は座って飲み食いし、立って踊り狂った」と書いてあります。
8:コリントの信徒への手紙一/ 10章 08節
彼らの中のある者がしたように、みだらなことをしないようにしよう。みだらなことをした者は、一日で二万三千人倒れて死にました。
9:コリントの信徒への手紙一/ 10章 09節
また、彼らの中のある者がしたように、キリストを試みないようにしよう。試みた者は、蛇にかまれて滅びました。
10:コリントの信徒への手紙一/ 10章 10節
彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました。
11:コリントの信徒への手紙一/ 10章 11節
これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。
12:コリントの信徒への手紙一/ 10章 12節
だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。
13:コリントの信徒への手紙一/ 10章 13節
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

 この乱れた世界において、十字架の福音に従って平和を創り出すために、主の十字架に与かりながら、主の戒めに生きて行くことを主はわたしたちに命令されているのです。主によって生かされ解放されたわたしたちは、共に生きる事と分かち合うことを心の中心にしっかりと刻んでおきましょう。わたしたちは、殺さない。わたしたちは争わない。人を尊重し否定しない。わたしたち太田キリスト教会は、主イエス・キリストの愛に導かれ、平和を願う祈りの群れとして歩んで行きましょう。イエス様はファリサイ派の「神の国はいつ来るのか」と言う質問に「神の国は見える形では来ない」「実に神の国はあなたがたの間にあるのだ」と答えています。また「時は満ち、神の国は近づいた」とも語られています。これは12弟子の共通の理解であったようです。パウロの想いの中では、終末は既に来ている、完成される日は近い。そういう想いがありました。


 エジプトの、あの海を潜り抜けた出来事が、今日のバプテスマを預言するものだとすれば、荒野での滅びもまた、わたしたちを戒める警告としての意味を持っているのでしょう。パウロはそのことを告げ知らせようとしたに違いありません。パウロは、この世における信仰の姿は、近づいている神の国に向かう歩みであると語っているのです。イスラエルの民は、神の憐れみと恵みによって救われたのに、その喜びを忘れ、「腹が減った」と言って不平を訴えました。また、目に見える偶像の誘惑に負けて金の子牛を造り、神を試みる罪を犯しました。パウロはイスラエルの過去とコリントの実情を並べる事によって、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。と記しています。勿論、「時の終わり」とはキリストの再臨を指しています。イエス様をキリストと見上げる者は、その時を、希望を持って迎えるのです。全てを主に信頼し、この地上において滅ぼそうとする者と闘わないのなら、荒野において滅ぼされたイスラエルの民と同じ道をたどると、警告するのです。この世に生きる限り、さまざまなことに影響を受けるでしょう。自分の中にある欲望を抑えるのは難しいかも知れません。しかし、イエス様は、「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」そう言ってくださっているではありませんか。イエス様はわたしたちのために祈ってくださっているのです。わたしたちはイエス様と再びお会いする終末の時を希望として生きている。この信仰の中で、試練の時があろうとも、主の守りを信じて、キリストだけを見上げて、祈り続けて行こうではありませんか。