後ろをふりむかないで
イスラエルに行ったとき死海をたずねた。ガイドの人が旧約聖書の創世記に登場するソドムとゴモラの話をしてくれた。大きな罪のゆえにソドムとゴモラは滅ぼされる。そのときロトと家族だけは逃げるのだ。しかし、ロトの妻は後ろをふりむいたがゆえに塩の柱になってしまった。その柱が今でもあり「あれですよ」と教えてくれたが実際にはよくわからなかった。後ろをふりむいただけで塩の柱になってしまったという話は何か納得できないが、自分にあてはめて考えてみると、もう後ろには何もないはずなのに過去にふりむいて固まってしまっている。私たちの人生にはそのようなことが多いののではないかと思う。もうないはずのものをいつまでも見続けていていつか動くだろうと思っているうちに自分が固まってしまうのだ。ロトの妻の話はそう私に教えてくれるのだ。