礼拝メッセージ(2018年1月21日)

「ひとりの命のために」

マルコによる福音書:3章1節~6節

林 健一 牧師

 

イエス様は真に恵みを与えるお方です。
神様はいのちを与えて豊かにすることを願われます。今日の聖書箇所では、安息日に関連する出来事が出てきます。神様は恵みとしてイスラエルの民に安息日を守ることを命じられ、彼らは安息日を聖なる日として、守ってきました。この安息日に関しても当時のイスラエルの人たちは安息の日として喜ぶのではなく、何としてでも守るべきものとなってしまったことが描かれています。イエス様はこの出来事を通して、安息日の真の意味を教えてくださると共に真の恵みについて、また私たち罪人を真に生かすお方であることを示されました。私たちはこのお方を通して真の恵みと安息を与えられているのです。
どのようにすれば生かせるか
イエス様は、会堂で片手が萎えた人に出会いました。そこにはイエス様を訴えようとする人たち(ファリサイ派の人々)が病気を癒すかどうか注目し続けていました。その人を癒したならばイエス様が律法に違反したとしてすぐにでも訴えようとするためでした。彼らは直接イエス様に「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」(マタイ12:10)と尋ねました。安息日に人をいやすことは、労働と見なされ律法に違反するとされました。イエス様は彼らに対し安息日が何であるのかをはっきりと理解させるため、その人を真ん中に立たせた後、安息日に善を行い、いのちを救うことが間違ったことなのかと反問されました(3,4節)。イエス様は真の安息を失った世界で苦しんでいる人々に、最も重要なことは善を行ない、いのちを生かすことだと教えられました。主はどのようにして人を生かすかに関心を持たれます。 どのようにして殺すか
人間の罪の性質は、人を罪に定めて傷つけます。神様を恐れ、律法を守ると語る者が、その律法で人を殺そうとし、片手のなえた人への憐れみも関心もなく、彼をいやそうとするイエス様をどのようにして殺すかと相談するのです。人を生かすことに関心を持たないと、私たちも人を罪に定める者になってしまいます。断罪と非難を捨て、愛と憐れみによって人を生かす者となりましょう。
真の恵みと安息の中へ
イエス・キリストを通して、真の安息を得た私たちにとって、律法は守らなければならない束縛ではなく、神様の恵みです。真の安息の意味をイエス・キリストの中で発見した人は、人生の中で何が重要なのかを知ることができます。イエス様によって真の恵みと安息を経験してください。 (林)