礼拝メッセージ(2018年3月25日)

「十字架のもとにいた人びと」

マルコによる福音書:15章33節~47節

林 健一 牧師

 

99.9%
99.9% この数は日本の刑事裁判における有罪率です。日本の刑事裁判はほぼ100%の確立で有罪判決が出ます。検察が被疑者を起訴するときには徹底的に調べて「この人は確実にくろ」だと確信できる人にしか起訴しないそうです。ですから一度起訴されたら覆すのはほぼ不可能ということです。主イエス・キリストはまったく罪がないお方であるにもかかわらず罪あるお方として十字架にかけられることが裁判で決められました。罪がない、0%のお方が100%の有罪判決を受けました。主イエス・キリストの十字架を見上げるとき、罪の残酷さと神様の恵みを同時に見ることができます。主は私たちの救いのために十字架で罪の贖いの供え物となってくださいました。それは神さまの愛のしるしでした。イエス様の十字架のもとにいた人々がいました。また、私たちも時を越えてイエス様の十字架のもとにいるのです。今、ここにいる私たちはイエス様の十字架に何を見るのでしょうか?
わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか
15:34 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
マルコ福音書は十字架の出来事だけを書いています。このことは私たちに何を語っているのでしょうか?イエス様は大声で「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました。これが「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(34節)という意味です。罪人でない主イエス様が、罪人の罪を負い、刑罰を受けてくださったのです。主イエス様の叫びから、私たちの罪が生む残酷な結果を知ることができます。同時に神様から捨てられた者としての孤独と痛みそして悲しみが見えてきます。また、イエス様によって、罪の結果である神様の怒りとさばきから解放されたことを覚え、喜びましょう。
裂けた神殿の幕 15:38 すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
イエス様が死なれた瞬間、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けました。(38節)。裂けた神殿の幕は主の肉体が死なれたことを現し(ヘブ10:20)、主イエス・キリストの血潮によって贖われ、信じる者が神様のもとに大胆に出ていけることを意味します。(ヘブ10:19)。またこれまでは罪のせいで敵対関係にあった神様との和解が成立したことを意味します。(ロマ5:10)
まことの神の子
15:39 百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
イエス様の死を見ていた百人隊長は「本当に、この人は神の子だった」(39節)と告白しました。イエス様の死刑を執行する直接的な役割を受けた(マコ15:44)百人隊長の口から出たこの言葉は、主が自称ユダヤ人の王ではなく、まことの世界の王であり、神の子であることを証明します。また、この世の罪の代わりに十字架につけられたメシアであることを意味します。イエス様はまことに神の子でした。