礼拝メッセージ(2018年3月4日)
「人の目と神の目」
マルコによる福音書:12章35節~44節
林 健一 牧師
あなたは救い主を知っているか?
あなたは救い主を知っておられるでしょうか?イエス様は「あなた」はとあなたに日々問いかけておられるのです。イエス様は、あなたにご自分のことをもっと知ってほしいと、そう願っておられます。イエス様は集まってきた人々に向かって次のような質問をしました。「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』というのだろう…」(12:37)。当時の人々は律法学者が教えていたメシアについての理解と信仰を持っていました。イエス様は人々に律法学者が教えるメシアでなくて、聖書からメシアとはどのような存在であるのかはっきりと示されたのです。
いま、見ているところに何がありますか?
イエス様はあなたに問いかけられます。いま、あなたの見ているところに何がありますか?何が見えますか?あなたは何を見ていますか?私たちは何を見ているのでしょうか?ここからイエス様は律法学者とやもめの献金について語られます。どちらもイエス様の目で見たことが語られているのです。ここで私たちが知らなければいけない大事なことはイエス様のようにきちんと見ることです。イエス様はどちらも見たことをとおして語られています。「律法学者に気をつけなさい。律法学者は何に目を向けているのか?」人々から神様に仕えている立派な人として尊敬されていた律法学者。人々は律法学者の言うことであったら間違いないと思ったでしょう。イエス様は人々に律法学者のことをよく見なさい。と言われます。
イエス様は何を見ておられるのでしょうか?
では、私たちの主イエス様は何を見ておられるのでしょうか?この世界を主イエス・キリストはどう見ておられるのでしょうか?苦々しく見ているのでしょうか?可愛そうだなと見ているのでしょうか?それとも何も見ておられないのでしょうか?イエス様の目は、一人の貧しいやもめに注がれました。大勢の金持ちがたくさん賽銭を入れている中、彼女が入れたのはレプトン銅貨2枚でした。「たったそれだけ」という声が聞こえてきそうな状況の中で、イエス様は弟子たちを呼び寄せ、「この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた」(12:43)と言いました。もちろんイエス様が言いたいのは、金額のことではありません。「持っている物すべて」入れたという意味で、誰よりも多く入れたと言ったのです。イエス様の眼差しは、誰も見ようとしないような部分に、注がれていました。
イエス様の眼差しに信頼して歩む人生
神殿にいた多くの人たちが律法学者の外見やふるまい、お金持ちがたくさんの献金をする姿に目を奪われる中で、イエス様は貧しいやもめの献げる心に目を向けておられました。イエス様は見ておられる。しっかりと見ておられる。だから私たちはそのイエス様の眼差しに信頼して歩むのです。