礼拝メッセージ(2018年4月22日)

「私たちを待つ復活の主」

聖書・コリントの信徒への手紙Ⅰ:7章17節~24節

林 健一 牧師

 

信じることで変えられる?
かつてテレビのCMに大変印象に残ったCMがありました。エステのCMでしたが、どこにでもいる平凡な女の子が家族にエステに行って綺麗になると宣言してエステから戻ってきたら行く前の面影は一切なくなってスーパーモデル並みの姿に変身して帰ってくるというものでした。CM評論家がこのCMがなぜ社会に受けたのか?とこう批評していました。「現実の世界ではあり得ないことだが、誰にでもある変身願望を見事に表していることが社会に受けた理由だろう」と言っていました。
「今の自分が変わりたい」これは私たち誰もが心の中に持っている思いではないでしょうか?私はイエスさまを信じてバプテスマを受けるとき少なからずこのような思いを持っていたような気がします。「バプテスマを受けたら自分は変わることができる」と期待が余りに大きすぎたゆえに失望も大きかったことを覚えています。

あなたはあなたのままで
私が信仰を持ったのも現状に対して何らかの問題があったからです。「何かを変えたい」とそう願いイエス・キリストを信じました。「何かが変わる!」とそう期待したからです。しかし、神さまが私に願ったのは変わることを期待することではありませんでした。

「おのおの主から分け与えられた分に応じ、それぞれ神に召されたときの身分のままで歩みなさい。これは、すべての教会でわたしが命じていることです。」 (聖書・コリントの信徒への手紙Ⅰ:7章17節)
これは伝道者パウロがコリント教会の人たちに向けて神さまに召されて歩み続けるということはどういうことであるのかを語ったことばです。パウロはコリント教会の人たちに「神さまに召される」信仰を与えられ、バプテスマを受けクリスチャンになったものは、「今、あるがままで」神さまに召されたことを感謝して歩み続けなさい。これがクリスチャンとして幸いな歩みであるのだと教えるのです。