はじめに
先週、私たちクリスチャンは、土の器であることを知りました。自分を金や銀として見せるのでなく、弱くて脆い欠けの多い土の器であるけども、神さまは土の器である私たちを愛して、土の器にご自身の栄光である光とイエス・キリストを甦らされた復活の命をあふれるほどに注いでくださったことを知りました。そのように満たしてくださった神さまであるならば、私たちはどれほどに、神さまに栄光をかえしていってもいいのではないでしょうか。
神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。(聖書・コリントの信徒への手紙Ⅱ:9章8節)
神さまは私たちがすべての点で、善い業に満ちあふれることができるようにあらゆる恵みを私たちに満ちあふれさせることができるお方です。そして、今私たちはそのように神さまの恵みに満ちあふれています。礼拝、祈り、奉仕、献金、すべてにおいて私たちの業が神さまの恵みによって豊かさにされている現実に目を向けましょう。私たちは土の器で乏しいものですが豊かにしてくださる神さまの恵みに目を向けなければなりません。
わたしはあなたがたの熱意を知っているので、(聖書・コリントの信徒への手紙Ⅱ:9章2節)
パウロはコリント教会の人たちに、あなたがたが決意してやり始めたことを成し遂げなさい、完成させないと(聖書・コリントの信徒への手紙Ⅱ:8章10節~11節)エルサレム教会を支えるための献金の準備を勧めます。当時のエルサレム教会は大変厳しい状況にありました。イエス・キリストを信じるユダヤ人たちは、同じユダヤ人たちから迫害されていました。ユダヤ人共同体から追い出された彼らは社会的、経済的に厳しい状態にありました。パウロは異邦人教会にエルサレム教会への支援を呼びかけます。その呼びかけに応えたのがコリント教会でした。しかし、思うように準備が進まないでいたことにパウロは、信頼しているテトスに二人の兄弟を加えてコリント教会へ派遣することにしました。パウロはコリント教会に主が「すべてのものに十分で」「あらゆる善い業に満ちあふれるように」と神御自身が献げること、そのものを満たしてくださると励ましました。
なぜなら、この奉仕の働きは、聖なる者たちの不足しているものを補うばかりでなく、神に対する多くの感謝を通してますます盛んになるからです。(聖書・コリントの信徒への手紙Ⅱ:9章12節)
パウロは、これらエルサレム教会への支援の行いの業を「奉仕の働き(業)」と言いました。これは祭儀的な奉仕を意味しています。パウロはエルサレム教会への献金は神さまに献げる神聖な行いであると言っているのです。私たちは「奉仕する」ということが大切だとわかっていても、神さまにつながっていくことに気づかないでいるのではないでしょうか。また、奉仕の働きは同時に聖なる者たち、キリスト御自身の不足を補うことになるのだと言います。キリスト御自身の不足を満たしていくために神さまがどのような生き方、行いを求めているのか、共に主の言葉に耳を傾けて聴いていこうではありませんか。 |