礼拝メッセージ(2018年7月29日)

「主はわたしを笑わせる方!」

聖書・創世記:21章1節~8節

林 健一 牧師

アブラハムの約束の子
聖書・創世記21章1節 主は、約束されたとおりサラを顧み
神様はアブラハムに語られたとおりに(聖書・創世記18章10節,14節参照)サラを顧みられ、サラが身ごもるようにされました。そして神様が語られた時期に、サラを通してイサクが生まれました。それは年老いたアブラハムとサラにとっては、人間的には全く不可能なことでした。しかし、全能なる神様は、アブラハムとサラを通してご自身の約束を成就されました。神様は、罪によって堕落したこの世において、全能の力をもって救いを導かれ、ついには全世界の救いを成し遂げられるお方です。

不可能を可能にされる神
聖書・創世記21章2節 彼女は身ごもり、年老いたアブラハムとの間に男の子を産んだ。それは、神が約束されていた時期であった。
神様がアブラハムに言われたその時期に、年老いたアブラハムに男の子が産まれたのです。「年老いたアブラハムに」という言葉は、サラの不妊だけではなく、アブラハムとサラの年齢を超えた奇蹟だったことを伝えます(聖書・創世記17章17節、18章11節~14節)。アブラハムとサラはずっと不可能だと思っていましたが、神様は「言われたその時期に」(聖書・創世記17章2節、17章21節、18章14節)、すなわち定められた時期に「ひとりの男の子」を与えられました。これまでアブラハムは、自分の方法と自分の願う時期に神様の約束を先取りしようとしました。しかし、神様はご自分の方法とご自分の定められる時期に約束を成就されました。
アブラハムは神様の仰せられたとおり、サラが自分に産んだ子を「イサク」と名づけます(聖書・創世記17章3節、17章19節)。そして神様の命じられたとおち、8日目にイサクに割礼を施します(聖書・創世記17章4節、17章12節)。イサクが生まれたとき、アブラハムは100歳でした。17章17節でアブラハムが心の中で、「百歳の男に子供が生まれるだろうか」と言ったことに対する答えと見られます。人間には不可能なことでしたが、神様にとってはできないことはないのです。

サラが笑う
聖書・創世記21章6節 サラは言った。「神はわたしに笑いをお与えになった。」
サラの反応が記されます。だれよりもこの問題に悩まされたサラです。不妊でありながら、神様の約束に従って歩んで来た数十年の間、彼女は決して笑えなかったでしょう。神様の約束を聞いたときに、あきれたかのように笑っただけです(聖書・創世記18章12節~15節)。しかし、今サラは心の中から喜び、笑えます。彼女は「神はわたしに笑いをお与えになった」(神がわたしのために笑いを作ってくれた)と告白します。神様はアブラハムとサラの疑いの笑いを、喜びの笑いに変えてくださいました。
神様はアブラハムとサラに笑いを与えられました。私たちにも神様のひとり子であるイエス・キリストをとおして笑いをお与えになられます。そして神様を信じる者には永遠のいのちが与えられます。私たちも、祝福の源として用いられるのです。