礼拝メッセージ(2018年7月1日)

「祝福の出発点」

聖書・創世記:12章1節~9節

林 健一 牧師

 

神さまの御声に聞き従ったアブラハム
聖書・創世記:12章1節 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。」

アブラム(高められた父)75歳の旅立ちでした。(聖書・創世記:12章4節)。後のアブラハム(多くの国民の父)という人物は「信仰の父」と呼ばれ、ユダヤ人にとっては自分たちのルーツとなる人物です。アブラムの旅立ちは、私たち信仰者の模範、型でもあります。「行き先も知らずに出発した」(聖書・ヘブライ人への手紙11章8節)旅立った彼でしたが、そもそも彼がここで従って旅立つことをしなかったならば、彼個人のみならず、やがて彼を通して全人類に及ぶべき、神さまからの祝福がとどめられたことを思うとき、神さまの御声に聞き従って旅立つことがどんなに大切な信仰の根本原則であるかを思い知らされます。「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。」(聖書・創世記:12章4節)のです。アブラムは主の言葉を信じ、主に信頼して、新しい地へと旅立ちました。

アブラムから祝福が広がっていく
聖書・創世記:12章3節 「…地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る。」

さて単純に従って旅立つ信仰の行為が、どんなに大きな祝福をもたらすかは、聖書・創世記:12章2節と3節に記されています。「そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし…」(聖書<新改訳>・創世記:12章2節)とあるようにまず民族が祝福され、次に「地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る」(聖書・創世記:12章3節)のごとく、全人類にまで、その祝福は及ぶのです。ひとりの人間が、すべてをなげうって、単純に神さまに従うという行為がどれほど大きな祝福をもたらすかを思い知らされます。
ここに私たちの神さまを信じる原点があるように思います。「祝福となる」(聖書・創世記:12章2節)とは、 ~になる、~である、存在するという意味のハヤー(ヘブライ語)の命令形で「~になれ」という意味です。神さまが私たちを呼んだのは、もちろん私が祝福されることでもありますが、私が周囲に祝福を与える、もたらす存在になれと神さまは私たちを招いたのです。

祝福の出発点
聖書・創世記:12章7節 主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。

この後アブラムは旅の主権者であられる神さまの御前に祭壇を築き(聖書・創世記:12章7節)、身を正し、主の御名によって祈り(聖書・創世記:12章8節)、その神さま御自身と直接親しく交わりながら、その基本的姿勢を崩さずに旅を続けます。
アブラムのそんな人生の旅路は、人生の途上でクリスチャンとなり、全く新しい価値を持ち、天の父を仰ぎ、その御国を目指しつつ旅立ちを始めた私たちの歩みとダブります。単純に主の御声を聞き、立ち上がって従い行くことを大原則に、その都度身を正し、主を礼拝し、主と親しく交わり、祈りながら、この旅路を全うしましょう。やがて祝福はそこから私たちの家族や民族へ、ひいては全人類にまでも及ぶのですから。