礼拝メッセージ(2021年2月21日)
『 自分の家に帰りなさい 』 ルカによる福音書 8章:34~39節 林健一 牧師
主イエス様によって悪霊から解放された男の人は服を着、正気になって主イエス様の足元に座っていました。本来の自分を神様によって取り戻すことができたのです。「豚の群れがおぼれ死んだ」こと、この男の人が「救われた次第」を聞いたゲラサの人々は結局主イエス様に出て行ってもらいたと願いました。人が救われることよりも二千頭の豚が失われてしまったことがゲラサの人々にはショックだったようです。 一方、悪霊を追い出してもらった男の人は主イエス様の足もとに座っていました。この「足もとに座る」(35節)というのは、「弟子入りする」という表現です。「イエスの足もとに座っている」ということこそが、彼に与えられた救いの最も重要な点です。主イエス様の足もとに座る、それは、主イエス様の御言葉に耳を傾けるということです。彼は、主イエス様の足もとでその御言葉を聞く者となったのです。彼は、ただ肉体的、あるいは精神的な症状が解決したのでなく主イエス様に弟子入りしようとしている。 主イエス様と関係を持つ者とさせられたのです。救われた者となったのです。彼はしきりにお供をしたいと主イエス様に願います。主イエス様は彼に「自分の家に帰りなさい」(39節)。彼が最初になすべきことは自分の家に帰ることだと、リ・ハビリテーション、住み直すこと。きちっと自分の手でリハビリしなさい。社会に戻れるように、償うべきものは償い、詫びるべきものは詫びて、「自分の家に帰りなさい」。こうお命じになります。再び生活を始めるにあたり必要なこと、それは悔い改めでした。 神様によって新しくされた彼に自分の家で「神のなさったことをことごとく話して聞かせなさい」(39節)この「話して聞かせる」とは「長々と語る」、あるいは「十分に完全に語り尽くす」という言葉です。主イエス様が彼に求めていること、「神があなたになさったこと」それは受けた「あなた」しか語れない。「あなた」語るのだと。私たちは主イエス様のこの言葉をよく考えているでしょうか?主の御心であるこのご命令をこの時、自分の心に問いかけてみる必要があるのではないでしょうか。 |