礼拝メッセージ(2021年5月30日)

『 最も小さい者こそ、最も偉い 』 ルカによる福音書 9章:44~48節   林健一 牧師

 「弟子たちの間で、自分たちのうちでだれがいちばん偉いかという議論が起きた。」(46)この前の個所で、イエス様が、ご自分の受難について、十字架にかけられる予告をなさったばかりだというのに、弟子たちは、自分たちのうちで誰がいちばん偉いかという議論を始めたというのです。この「偉い」という言葉は、ギリシャ語では「メガス」の最上級です。メガスとは、「メガトン級」、「メガバンク」のメガです。つまり、自分たちのうちで誰がいちばんビッグか、上か、という話をしていたわけです。イエス様が、もっともっと低くなられるというのに、自分たちは誰が偉いか、ビッグか、高い所にいるか、という話をしていたのです。

 しかし主イエス様はこの時、1人の子供の手を取り、ご自分のそばに立たせておっしゃいました。 イエス様は、その子どもの手を取って、ご自分の脇に立たせておっしゃいました。「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」 (48)すなわち、イエス様を信じてこの子を受け入れるならば、それはイエス様ご自身を受け入れることと同じであり、すなわちそれはイエス様をお遣わしになった父なる神様を受け入れることになるのだ、とおっしゃったのです。

 そして続けてイエス様はおっしゃいました。「あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉いのである」(48)小さい自分を意識することは難しいことです。私たちは大きくなりたいと思う者です。しかし、取るに足りない私たちひとりひとりを救うために、神の御子主イエス・キリストは、ご自分の命を投げ打ってくださったということです。それが十字架です。自分自身が取るに足りない人間であることを知ったとき、イエス様の十字架がいかに尊いものであるかということが、分かってきます。この取るに足りない私を救うために、神の御子イエスさまが十字架にかかって命を投げ打ってくださった。この驚くべき愛に、ただ感謝する他はないとあらためて思います。