礼拝メッセージ(2022年1月16日)
『 あなた方も悔い改めなければ 』
 林健一 牧師 
ルカによる福音書 13章:1節~5節

13章 01節:ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。

13章 02節:イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。

13章 03節:決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。

13章 04節:また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。

13章 05節:決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」

ルカによる福音書 13章:1節~5節(新共同訳)

 ピラトがガリラヤ人を殺したという事件についてイエスさまは、「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか」と言われ、シロアムの塔が倒れて18人が死んだ事故については、「また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか」とおっしゃっています。つまり、多くの人々は、そのような災難に遭った人々は、他の人たちよりも罪深いからそういう災難に遭って死んだのだと思っていたということがわかります。すなわち、そのような目に遭った人々は、何か悪いことをしたからそのような災難に見舞われたのだと、多くの人々は考えていたのです。

 そのような考え方は、なにもこの時のユダヤ人だけの考え方ではありません。日本でも昔から言われてきたことです。イエスさまは、両方の事件、事故について、いずれも「決してそうではない」とおっしゃったあと、「言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」。‥‥これは言い換えれば、「悔い改めなさい」という招きの言葉でもあります。「心を変える」「考えを変える」「人生に於ける考え方の根本を変える」という意味です。

 そしてまたこの言葉には、「立ち帰る」という意味も含まれています。神さまの所に立ち帰るということになります。神さまの所に立ち帰る。「同じように滅びる」この罪深い私たちを、神さまは受け入れて下さるのでしょうか?それはイエスさまによって受け入れて下さるのです。神の罰を、イエスさま自らが十字架にかかって、私たちの代わりに引き受けて下さった。そのイエスさまを信じることによって、神のもとに立ち帰ることができるのです。そのイエスさまと共に歩んでいくことが、心を変えることであり、根本から変えるということです。そのような道が私たちに与えられていることを感謝します。

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