礼拝メッセージ(2022年2月13日)
『 救われるものは少ないか 』
林健一 牧師
ルカによる福音書 13章:22節~30節
13章 22節:イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。
13章 23節:すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。
13章 24節:「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。
13章 25節:家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。
13章 26節:そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。
13章 27節:しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。
13章 28節:あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。
13章 29節:そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。
13章 30節:そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」
ルカによる福音書 13章:22節~30節(新共同訳)
今日読んだ聖書の箇所である人がイエスさまに「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言いました。この人がイエスさまに質問した意図、神の国に入れるのか、という問いでありました。死んだら人はどうなのるのか?という問いではありません。イスラエルの人たちにとって神の国に入れるかどうかは現実の問題でした。イエスさまは何と答えられたのでしょうか。
イエスさまは「救われる者は少ないのでしょうか」という問いに答えず「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。」と言われました。マタイによる福音書に「狭い門からはいれ」との言葉があります。ここではそうではなくて、「狭い戸口」です。戸口が「狭い」ために一度に大勢の人が入れない。一人がやっと出入りすることのできる戸口であるから入ることができるように努めなさいと言います。
25節 家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。イエスさまの言葉に賢い乙女、愚かな乙女の例え話が思い浮かびます。しかし、イエスさまが言っているのは「家の主人」が自分の家のドアを閉めた。その後だれか別の家の人が戸をたたく「ご主人、開けてください」というその呼びかけなのです。戸口は閉じられるときが必ず来るのです。そうであればこそ時を見分けるように目を覚ましていなさいとイエスさまは呼びかけるのです。
救いとはアダムとエバによって断絶された神さまとの関係が回復され絶えることのない交わりにはいることです。神さまとの関係が回復されることで平安を得ます。しかし、残念ながらイエスさまの言葉を聞いてもただ聞いて終わりの人たちがほとんどです。「救われる人は少ないのでしょうか?」神さまはすべての人を救われています。肝心なのは私がどうしていくかです。救いにあずかる者となるように日々努めていこうではありませんか。