礼拝メッセージ(2022年3月13日)
『 神の国の食事への招き 』
 林健一 牧師 
ルカによる福音書 14章:15節~24節

14章 15節:食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。

14章 16節:そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、

14章 17節:宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。

14章 18節:すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。

14章 19節:ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。

14章 20節:また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。

14章 21節:僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』

14章 22節:やがて、僕が、『御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、

14章 23節:主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。

14章 24節:言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない。』」

ルカによる福音書 14章:15節~24節(新共同訳)

 

 東日本大震災から11年、震災当時福島から県外に避難してきた人たちに対する反応。「放射能で汚染されている」「汚い」「放射能がうつるぞ」。震災に遭いこれまでの生活の場を失ったばかりかどこにも居場所がなかった。人々はこう反応するだろう。「仕方がない」「そんなところに住んでいるからだ」「自分で責任を持つしかない」「弱肉強食社会だから」

 イスラエル、ファリサイ派の人たちは強烈なエリート意識を持っていた。自分たちこそ神さまに選ばれた民族。神の国に入るものであり救いにあずかるものである。教会からこういう声が聞こえる「救われていない人は可哀そう」。東日本大震災当時支援に出かけたキリスト教会の関係者から「東北の人たちもやっと神さまに心をひらくようになった」。私たち人間はどうしても自分と他者との間に高い壁、境界線を引きたいようだ。神の国の主人であるイエスさまは神の国の宴会についてどのように語っているのでしょうか。

 今日読んだ聖書にはイエスさまがたとえを用いて神の国での食事の招きについて語っています。たとえ話では招待していなかった客ではない他の人たちを宴会の席に連れてくるように僕たちに命じます。新しく招かれたのは、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人などです。この突然の招待に対して、何のお返しもできないような人々です。それは言いかえれば、ファリサイ派の人々が招こうともしなかった、罪人して同じ救いに与る仲間とはみなしてこなかった人たちです。しかし、それでもまだ宴会の空席は埋まりません。さらにまだ席に空きがあることが分かると、今度は道やかきね「通りや小道」に出て行って、人々を集めてくるように命じます。

 神の国の食事に招かれるはずだったイスラエルが神の救いの招きを拒んだことが、わたしたちの救いの機会となっているその事実は、今もなお続いています。それはわたしたちの功績でも功徳でもありません。ただ恵みとして与えられているものです。そして、今もなおその恵みの時は続いているのです。そうだとすれば、「通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。」と命じた神さまの御心と情熱は今も生きているはずです。教会は高い壁や境界線を作る所でなく神さまの情熱をもってあらゆる人たちを招く場所でありたいと願うのです。