礼拝メッセージ(2022年6月19日)
『 いつ来る?神の国 』
林健一 牧師
ルカによる福音書 17章:20節~21節
17章 20節:ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。
17章 21節:『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
ルカによる福音書 17章:20節~21節(新共同訳)
「神の国はいつ来るのか」と問われて主イエスさまがお答えになったみ言葉を、本日はご一緒に読み、味わいたいと思います。この問いを主イエスに投げかけたのは、ファリサイ派の人々だったと20節にあります。神の国の「国」という言葉は、「王としての支配」という意味です。ですから「神の国が来る」というのは言い換えれば、「神の王としてのご支配が来る、それが実現する」ということです。ユダヤ人たちはそのことを信じ、期待していたのです。
主イエスさまは、ファリサイ派の人々のこのような問いないしは願いに対して、そういう問いや願いは正しくない、とお答えになりました。主イエスさまのお答えの中心は、「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」というみ言葉です。神の国はあなたがたの間にあるのだ、と主イエスさまはおっしゃったのです。神の国、神様のご支配は、あなたがたの間に、今現にあるのだ、と言っておられるのです。それはどういうことなのでしょうか。
今、ファリサイ派の人々のまん中には主イエスさまがおられます。神さまの独り子であられる主イエスが、父なる神さま遣わされて今ここに、この地上に、人々のただ中におられる、そのことによって、神の国が、神さまのご支配が、あなたがたの間に実現しているのだ、と主イエスさまは語っておられるのです。このみ言葉から聞き取り、また問うていかなければならないのは、神の国、神さまの王としてのご支配が「いつ」到来、実現するのか、ということではなくて、それは「どこにあるのか」、神さまは誰によって、またどのようにして、私たちを王としてのご支配の下に置いて下さるのか、ということなのです。
私たちの地上の人生は、ローマ帝国の支配下にあったユダヤ人たちのように、人間の力、この世の力の圧倒的な支配の下にあり、様々な苦しみや悲しみの現実の中にあります。しかし、人間の思いや予測や期待をはるかに超えた神様のご支配が、主イエス・キリストの十字架と復活において実現し、私たちに与えられています。キリストの十字架によって、神さまがこの私の罪を赦し、苦しみや悲しみを背負い、死と滅びを代って引受けて下さるほどに愛して下さっていることが示されているのです。私たちは神さまのこの愛のご支配の下に置かれています。それが主イエスさまによって到来した神の国です。