礼拝メッセージ(2022年7月10日)
『 聞くのに早く、忘れるに遅い 』
教会員 I
ヤコブの手紙 1章:19節~25節
01章 19節:わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。
01章 20節:人の怒りは神の義を実現しないからです。
01章 21節:だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。
01章 22節:御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。
01章 23節:御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。
01章 24節:鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。
01章 25節:しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。
ヤコブの手紙 1章:19節~25節(新共同訳)
聞くには早く」人の話に耳を傾け聴くことは、大変大切なことです。しかし、ここでは「真理のことば」「心に植えつけられた御言葉」と書かれていますので、神の御言葉に聞くに早くということを心に残さなければならないでしょう。
御言葉に聴くことは、わたしたちの信仰告白にもあるとおり、信仰生活の原点であり、基盤です。わたしたちは、「真理のことば」すなわち、イエス・キリストの福音「十字架の贖いによる赦しと神との交わり」によって新生されました。それは、信仰が与えられる前の古い体を脱ぎ捨てて、新しい体で生きて行くことにほかなりません。
「話すのに遅く」言葉を語ることにおいて、慎重でならなければと教えます。御言葉に聴くのは早くとの続きと考えるならば、神との交わり、御言葉の理解なくして、わたしたちクリスチャンの信仰生活は維持していけません。人との会話がそうでしょう。一人では生きていけない私たちの日常では言葉は大変大切なツールです。ですから、「話すのに遅く」とは、聖霊の助けによって「み言葉をよく咀嚼」してから、語りなさい。と言われるのです。
「怒るのに遅いようにしなさい」ですが、怒るということは、自分の考えることや願いとに立ってしまって、対立する者や言葉に対して突然湧きあがったり、治まらない感情でしょう。「喜ぶこと」もそうでしょうが「怒ること」も語ることの中に存在します。相手への怒りが、語ることに火を付けたりします。ヤコブは、「怒り」のことについては、ここで言葉を続けて加えます。「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」人の感情に湧き上がる怒りは、どんなにそれが正しいように見えても、またしかるべき理由があったとしても、怒りの中からは御心の実現は生まれては来ないのです。
「聞くのに早い人」本当の聞き手は「心を込めて聞く」「一心に見つめる心の目を持っている」たとえ聞いたことすべての意味を理解できなくても、そこに重要なものが隠れていることを知っているから。自分の信仰に照らして物事を見極めていく人。こんな人は聞くのに早い人なのです。そして「忘れるに遅い人」は自分が主イエスの憐れみによって救われた者であり、自分の周りにあるものは、妻も子も夫も、教会の兄弟姉妹も、地位も財産も環境も、すべて神からの贈り物、賜物と知って生きる人の事なのです。