礼拝メッセージ(2022年8月14日)
『 だれが救われるのだろう 』
林健一 牧師
ルカによる福音書 18章:24節~30節
18章 24節:イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。
18章 25節:金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
18章 26節:これを聞いた人々が、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言うと、
18章 27節:イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。
18章 28節:するとペトロが、「このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました」と言った。
18章 29節:イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、
18章 30節:この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」
ルカによる福音書 18章:24節~30節(新共同訳)
本日は平和をおぼえて祈りつつ神さまに礼拝を捧げていきたいと思います。先週は、私たちはある議員がイエスさまに「何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるのか」、神の国に入るためにはどうすればいいのか?という救われるためにはどうすればよいのかという私たちにとっても大切な問いかけの場面を共に読みました。イエスさまは議員の問いに対し、22節「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 「従いなさい」これは「弟子になる」イエスさまは私の生き方に倣いなさい。そうすれば永遠の命を受け継ぐことができる、救われるのだと言われたのです。
しかし、これを聞いた男は非常に悲しんだと、彼が願っていた永遠の命を受け継ぐことが出来る答えをイエスさまは与えてくださったのにどうして非常に悲しんだのでしょうか?それは彼が大変な大金持ちだったからです。確かに守らなければならないものを持っていればいるほど、自分を明け渡すことは難しいものです。それが財産であれ、名誉であれ、権力であれ、持っていればいるほどそれを捨てて自分をキリストに明け渡すことが困難です。
24節 イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。
25節 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
これを聞いた人々は驚いて言いました。
26節 「それでは、だれが救われるのだろうか」
しかし、イエスさまはっきりと宣言されます。
27節「人間にはできないことも、神にはできる」
このお言葉は二つのことを語っています。一つは、「人間にはできない」ということです。イエスさまが言っておられるような捨てること従いついていくことは人間にはできない。そのことをイエスさまご自身も認めておられるのです。しかしこのお言葉はもう一つのこと「神にはできる」ということをも語っています。このことは人間にはできないが、神さまにはできる、神さまのお力が働く時に、このことが可能となるのだ、とイエスさまはおっしゃるのです。この後イエスさまはご自分が受ける十字架の苦難について弟子たちに再び語り聞かせています。主イエス・キリストが人間にはできない罪の償いを十字架の上で果たしてくださるのです。このキリストに何もできない自分を明け渡す時に人間にとっての不可能が可能になるのです。