礼拝メッセージ(2022年9月11日)
『 王にいただきたくない 』
  林健一 牧師 
ルカによる福音書 19章:11節~27節

19章 11節:人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。

19章 12節:イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。

19章 13節:そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。

19章 14節:しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた。

19章 15節:さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。

19章 16節:最初の者が進み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。

19章 17節:主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』

19章 18節:二番目の者が来て、『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。

19章 19節:主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った。

19章 20節:また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。

19章 21節:あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。』

19章 22節:主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。

19章 23節:ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。』

19章 24節:そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』

19章 25節:僕たちが、『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、

19章 26節:主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。

19章 27節:ところで、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』」

ルカによる福音書 19章:11節~27節(新共同訳)

 今日取り上げるお話は「ムナのたとえ話」として知られる有名なたとえ話です。イエスさまがこの「ムナのたとえ」をお語りになったのは、11節「エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるもの」と思い違いをしていたからです。人々は、イエスさまがエルサレムに入られると、きっと何かが起こるに違いという期待を持っていたようです。それはすぐにも現れるに違いないという神の国への期待でもありました。そういう人々の熱狂的な期待に対して、今がどういう時代なのか、そして、その時代をどう生きるべきなのか、そのことをたとえを通してお語りになっているのです。


 話しの中では十人の僕にお金を託して出かけたのですから、報告も十人からの報告があって当然ですが、三人の僕たちの報告の様子だけが記されています。最初の二人はそれぞれ1ムナから10ムナを儲けた人、1ムナから5ムナを儲けた人です。儲けた金額は違いますが、それぞれの儲けに応じて褒賞が与えられます。それは主人が言っていますがこの二人がごく小さな事に忠実だったからです。三番目の僕が主人から叱責を受けたのは預かったものを布に包んでしまっておいたから、という理由だけではありません。この人は一ムナを布にくるんでしまって置いた言い訳を、預けないものを取り立てる主人の恐ろしさのせいにします。


 このムナは何をたとえているかということです。神さまの恵みではないでしょうか。神さまの恵みとは何でしょうか。このお話をなさったのはザアカイの家でのことでした。このあとイエスさまは、いよいよ旅の終着点であるエルサレムに入って行かれます。そしてそこで捕らえられて、十字架につけられることになります。そしてそのことをイエスさまご自身は、あらかじめご存じでありました。ですから、その十字架を目前に控えておっしゃっているのです。すなわち、みんなに等しく与えられている神の恵みとは、イエスさまが十字架で与えてくださる神の恵みであると言うことができるでしょう。十字架による救い。それは誰かのほうが自分よりも多い恵みだというものではありません。みんな等しく与えられる救いの恵みです。このたとえでは、この僕以外に、実際に1ムナを使ってみて損をした人は一人もいません。使った人は必ず儲けたのです。つまりこのことは、神さまの恵み、十字架のイエスさまの恵みを信じれば、必ず大きな実を結ぶ、予想外の喜ばしい結果をもたらすことを表しています。しかし3番目の僕は、そのことが信じられなかったのです。私たちはどうでしょうか。