礼拝メッセージ(2023年4月16日)
『 シェマ・イスラエル 』 石井努 牧師
マタイによる福音書 22章:34節~38節
22章 34節:ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。
22章 35節:そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。
22章 36節:「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
22章 37節:イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
22章 38節:これが最も重要な第一の掟である。
マタイによる福音書 22章:34節~38節(新共同訳)
初めの教えは、読んでお判りのように神に対する愛を教えているのに対して、次の教えは自分ではない、隣人を愛しなさいというものですが、テーマは愛なのです。神を心から愛するということは、“私たちが自分の利益ばかりを追い求めないで、人を愛することができるようになる。”ということなのです。自分の利己心に左右されずに人を愛することが出来る。この、マタイによる福音書のイエス・キリストの言葉は、ファリサイ派の人達にその間違いを正した言葉ではありますけれど、私たちにとっても聖書の教えの中心は神を愛することと、人を愛することのこの二つであると断言されたと受け取れるものです。
私たちが旧約聖書の中で聞く言葉でありますし、説教でも使われる十戒もそうですね。初めの四つ、①「あなたはわたしの他に神があってはならない。」②「あなたは、いかなる像も造ってはならない。」③「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。」④「安息日を守ってこれを聖別せよ。」は神に対する人間の姿を教えています。そして残りの六つ「あなたの父母を敬え。」「殺してはならない。」「姦淫してはならない。」「盗んではならない。」「隣人に関して偽証してはならない。」「あなたの隣人の妻を欲してはならない。隣人のものを一切欲しがってはならない。」
これは、確かに人に対する心遣い、実は愛を教えています。皆さん、互いに愛し合いましょう。愛することのない者は神を知ることが出来ません。なぜなら神は愛だからです。神は、独り子イエスを世にお遣わしになりました。どうしようもなく独りよがりに生きてきてしまったわたしたち人間の背きを一身に背負ってくださってその罪を帳消しにしてくださった。その方の、十字架と復活とによって、私たちが生きるようになるためでした。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになったのでしょう。皆さん、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、私たちも互いに愛し合うべきです。
目に見える兄弟姉妹を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する人は、関わる全ての人にも愛の目を向けるべきです。これが、神から受けた、掟です。