礼拝メッセージ(2023年4月23日)
『 神の愛に生かされる 』 石井努 牧師
ローマの信徒への手紙 8章:31節~39節
08章 31節:では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。
08章 32節:わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。
08章 33節:だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。
08章 34節:だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。
08章 35節:だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。
08章 36節:「わたしたちは、あなたのために/一日中死にさらされ、/屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
08章 37節:しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。
08章 38節:わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、
08章 39節:高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。
ローマの信徒への手紙 8章:31節~39節(新共同訳)
人間、この世の事だけを前提にするならば、肉体という身体だけを考えれば、ひとりで生まれてきてひとりで死んで行くのです。今まで通って来た過去を振り返って、アアすれば良かった、こうしておけば良かった、そうすればこんな風になってはいなかった。そう思ったところで取り戻すことは出来ないのです。
しかし、わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、未来のものも、力あるものも、人の不安につけ込もうとするものも、わたしたちの主イエス・キリストによって示された慈愛の主から、わたしたちを引き離すことは出来ないのです。31節にあったように、「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。」クリスチャンの人生は「神を味方」にして誰も敵対することの出来ない人生です。信仰の無い人生は、神に背を向けて、自分勝手に生きて、滅びに向う人生かもしれないのです。クリスチャンとは「神を味方」にして、神の愛の中を歩む人生を選んだ人です。
1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 2この言は、初めに神と共にあった。 3万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 4言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。ヨハネによる福音書の1節から4節の気仙語訳が次のことばです。
はじめにあったのは神さまの想いだった。その思いは、最初から神さまの胸の内に在ったもの。それなしに生まれたものはひとつもない。神さまの想いには人を生かす力があって、生きる喜びを人の世に輝かす光だった。天の神さまは、イエス・キリストの十字架と復活によってわたしたちをご自分の元に置かれたのです。わたしたちは、この神さまの想いの中に生かされているのです。その神さまが用意なさって下さる道が在る、必ずある。あなた方ひとりひとりに用意された道がある。そう信じるから、今どんな状況であろうとも、分かるはずのない明日に希望がもてるし、毎日励んでいけるのだと分かって欲しいのです。あなたに神が用意なさっている道は、平安と喜びと生きる希望に満ちた道、どんな不安にも陥らない、肉体の死など乗り越えた永遠の命を持った道。どんなにどんなに、あなたを思って下さる方が今ここにおられるのか知って欲しいのです。 神はあなたを愛しておられます。