礼拝メッセージ(2023年5月28日)
『 生きた水が流れる 』
石井努 牧師
ヨハネによる福音書 7章:37節~39節

07章 37節:祭りの終わりの大事な日に、イエスは立ったまま、大声で言われた。「渇いている人は誰でも、私のもとに来て飲みなさい。

07章 38節:私を信じる者は、聖書が語ったとおり、その人の内から生ける水が川となって流れ出るようになる。」

07章 39節:イエスは、ご自分を信じた人々が受けようとしている霊について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、霊がまだ与えられていなかったからである。

ヨハネによる福音書 7章:37節~39節(新共同訳)

 イエス様は続けて、素敵な言葉を残してくださいました。「渇いている人はだれでも、わたしの所に来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(イザヤ44:3)これは、イエス様を信じる者たちが、受けようとしている御霊の事をいったのです。聖霊は本来上から、神からくるものですよね。

 「聖霊が注がれる」とか表現しますしわたしもそう思ってはいるのです。けれども、ここでは「その腹から、いのちの水が川となって流れ出るであろう。」(口語訳)と言われています。イエス・キリストを信じる者は、聖霊を受けるばかりではなく、自分の腹から聖霊があふれ出て、人にも与えることが出来るほどであると言うのです。箴言(口語訳)で「油断することなく、あなたの心を守れ、いのちの泉はこれから流れ出るからである。」(4:23)と預言された通り、聖霊はイエス様を通して神から戴くだけでなく、あなたの腹からも湧き出て流れ出るのです。何か?心に平安がない、「今の自分でいいのだろうか?」飢え渇きを感じる。イエス様はそういう人に向かって「そんな時は「わたしを見なさい!わたしの言葉を聞きなさい!」わたしのところに来て飲みなさい。「わたしを信じる者は、聖書で言っている通り、その腹からいのちの水が川となって流れるであろう」。と言われるのです。

 みなさんご存じの星野富弘さんは、中学の体育教師であったときに鉄棒を教えていて誤って落下し、全身まひになりました。動かなくなった体で、来る日も来る日も天井を見ながら考えていたそうです。人間にとって一番の苦しみは、「今が苦しい」というより「この苦しみがいつまでも続くのではないかという不安になることです」と詩集に書いています。ある時、大学時代の先輩が駆けつけてくれたそうです。ずうっと黙っていた、その先輩は「僕にできることは、これしかありません。」といって聖書を届けてくれたのです。読む気にもなれずにそのままにしておいたのですが、ある時、気になって病床に付き添っていたお母さんに読んでもらったそうです。初めに心に響いた言葉は「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。

 わたしがあなたを休ませてあげよう。」というマタイのことばだったそうです。「どんな時にも 神さまに愛されている そう思っている 手を伸ばせば届くところ 呼べば聞こえるところ 眠れない夜は枕の中に あなたがいる」闘病生活で受け取っていた神の霊がその詩となって川となって流れ出ているのだと思います。