礼拝メッセージ(2024年10月13日)「天に属する体」 Ⅰコリント15:35~49 石井努牧師

35:コリントの信徒への手紙一/ 15章 35節
しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。
36:コリントの信徒への手紙一/ 15章 36節
愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。
37:コリントの信徒への手紙一/ 15章 37節
あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。
38:コリントの信徒への手紙一/ 15章 38節
神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。
39:コリントの信徒への手紙一/ 15章 39節
どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。
40:コリントの信徒への手紙一/ 15章 40節
また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。
41:コリントの信徒への手紙一/ 15章 41節
太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります。
42:コリントの信徒への手紙一/ 15章 42節
死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、
43:コリントの信徒への手紙一/ 15章 43節
蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。
44:コリントの信徒への手紙一/ 15章 44節
つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。
45:コリントの信徒への手紙一/ 15章 45節
「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。
46:コリントの信徒への手紙一/ 15章 46節
最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。
47:コリントの信徒への手紙一/ 15章 47節
最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。
48:コリントの信徒への手紙一/ 15章 48節
土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。
49:コリントの信徒への手紙一/ 15章 49節
わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。

      

 コリント教会にはいろいろな人がいました。ギリシャ哲学に傾倒する異邦人や、ユダヤ人の中でもサドカイ派の様に「復活はない」と言い切るグループ。コリントの教会ではわたしたちの核心でもある復活を「そんなことがあるものか」と嘲笑うもいました。霊肉二元論のように、霊のみが崇高で、私たちの体のように肉的なものは空しい。こういう考えの影響のせいで、自分たちの体の復活に関して混乱していました。使徒言行録17章にもありますが、忌み嫌われる死体が永遠によみがえらされるという考えは、当時の人たちからは強く反対されたのです。


 イエス・キリストがよみがえったことは、ひとりの人が生き返ったという単純な出来事ではありません。そうではなく、キリストを信じている者たちに永遠の命を与え、また万物をも回復してしまうほどの影響力をもっていた出来事だったのです。わたしたちは、イエス様が今も生きてお働きだと信じるからこそ聖書を読み、礼拝を奉げるのではありませんか。
この世の肉体という体が死ぬことによって、御霊の体が与えられます。二つの体の違いは「朽ちるか、朽ちないかです。」血と肉の体は朽ちていきます。なくなるのです。土に埋めれば土に還りますし、焼かれれば灰になります。けれど、復活の体は、神の息吹による御霊の体ですから、寿命などというものはありません。永遠に生きる体になるのです。この体は栄光に満ちています。今の肉体と生きているわたしたちは、風邪もひきますし、コロナウイルスにもやられます。疲れますしストレスもあります。けれど御霊による復活の体は、その全てから解放されますし、ストレスもありません。このように全く違った体をいただいて甦るのです。


 パウロは「愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか」と答えています。「愚かな人」という根拠は、このような考えに捉われる人は、自分たちの持ち合わせている知識や知恵が科学的にも最高のものだと自負しているからです。神の存在は信じているのに、自分の知識や知恵で神のなさることを判断してしまう愚か者なのです。そんな人にパウロは、まかれた種とそこから出てくる茎や実の譬えを話します。 37あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。 38神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。種は、土に中で成長してやがて芽を出します。そして茎となり実をつけていく成長を続けるのです。これをパウロは、わたしたち人間の肉体とよみがえる時の体と比べているのです。まかれた種は地上における肉体のようです。その肉体が死ぬことによって、芽を出す。つまり新しい体が与えられる。と説くのです。わたしたちのからだには、初めから吹き入れられた神の霊が宿っています。やがて、イエス様を救い主と信じたその時から、聖霊という神のご意志が働いて、復活の体。永遠の命を持つ体に変えられるのです。