礼拝メッセージ(2024年4月21日) 『 立ち帰れ、原点に 』 石井努 牧師 コリントの信徒への手紙一 1章:10節~17章

10:コリントの信徒への手紙一/ 01章 10節
さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。
11:コリントの信徒への手紙一/ 01章 11節
わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。
12:コリントの信徒への手紙一/ 01章 12節
あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。
13:コリントの信徒への手紙一/ 01章 13節
キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか。
14:コリントの信徒への手紙一/ 01章 14節
クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにも洗礼を授けなかったことを、わたしは神に感謝しています。
15:コリントの信徒への手紙一/ 01章 15節
だから、わたしの名によって洗礼を受けたなどと、だれも言えないはずです。
16:コリントの信徒への手紙一/ 01章 16節
もっとも、ステファナの家の人たちにも洗礼を授けましたが、それ以外はだれにも授けた覚えはありません。
17:コリントの信徒への手紙一/ 01章 17節
なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。

コリントの信徒への手紙一 1章:10節~17章(新共同訳聖書)

 パウロは、まず「兄弟たち」と呼びかけています。そして、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。と勧めています。「なんで、争うの」「わたしたちの神は同じなんだから、協力するのが当たり前でしょ!」わたしたちが人に注意をするとき、つい上から目線になってしまいませんか。けれども、パウロは違いました。あなたたちを贖われたイエス様の、苦しみと栄光、その救い。それを同じように受けたその時のことを思い起こさせるように、争いの中にいるすべての人が信じてうけ入れている、主イエス・キリストの名によって勧めるのです。


 同じ兄弟として、同じイエス様を信じる者として、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。」と勧めるのです。パウロは言います。「だれが主の思いを知り、主を教えるというのか。わたしたちは、キリストの思いを抱いています」わたしたちも、この言葉に十分に注意しなければなりません。 マタイによる福音書7章でイエス様は、「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気付かないのか」と語られています。わたしたちは自分の「こうあるべき」という秤にそぐわない他人のおがくずにばかり目を向けて、自分の中にある「自己中心」という丸太に気付かないのです。パウロは、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」贖い主イエス様に、直接声をかけられ、回心した、あのダマスコでのことをはっきりと覚えていました。それまで「自分の目に律法主義」という丸太があって、多くのキリスト者を弾圧してきた自分を悔改めていたのですから。


 パウロの言葉は、その宣教も、知恵にあふれた言葉ではなく、「霊と力」の証明によるものだったのです。 それは、コリントの人々が、人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでありました。その根拠は、なによりも、コリントの人たちがキリストよって集められた、教会の交わりそのものだ、ということです。わたしたちが昨年の主題聖句に掲げていた、「ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」のみ言葉の通り、教会の交わりは神のもとにあるということなのです。コリントの人たちが使徒たちを通して語られる「十字架の福音」「十字架の福音」をいかに受け入れたのか。どのように迫害の中でみ言葉に従って生きてきたのか。そこに帰って欲しかったのでしょう。わたしたちが、いついかなる時も忘れてならないのは、イエス様が天の父に遣わされ、なぜ受肉されたのか、何を教え、なぜあの十字架にかかられたのか。です。そして、わたしたちが神に背を向けたことによって、起こる罪。その罪のすべてを一身に負われて十字架に架かれた。この事実。「主は私たちの神。主はただ一人である。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい。」「自分を愛するように隣人を愛しなさい」と教えてくださったイエス様。復活されて、今も共にいてくださるイエス様なのです。