礼拝メッセージ(2024年6月30日)「その時に備えて」 石井努 牧師

25:コリントの信徒への手紙一/ 07章 25節
未婚の人たちについて、わたしは主の指示を受けてはいませんが、主の憐れみにより信任を得ている者として、意見を述べます。
26:コリントの信徒への手紙一/ 07章 26節
今危機が迫っている状態にあるので、こうするのがよいとわたしは考えます。つまり、人は現状にとどまっているのがよいのです。
27:コリントの信徒への手紙一/ 07章 27節
妻と結ばれているなら、そのつながりを解こうとせず、妻と結ばれていないなら妻を求めてはいけない。
28:コリントの信徒への手紙一/ 07章 28節
しかし、あなたが、結婚しても、罪を犯すわけではなく、未婚の女が結婚しても、罪を犯したわけではありません。ただ、結婚する人たちはその身に苦労を負うことになるでしょう。わたしは、あなたがたにそのような苦労をさせたくないのです。
29:コリントの信徒への手紙一/ 07章 29節
兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、
30:コリントの信徒への手紙一/ 07章 30節
泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、
31:コリントの信徒への手紙一/ 07章 31節
世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。
32:コリントの信徒への手紙一/ 07章 32節
思い煩わないでほしい。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、
33:コリントの信徒への手紙一/ 07章 33節
結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、
34:コリントの信徒への手紙一/ 07章 34節
心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。
35:コリントの信徒への手紙一/ 07章 35節
このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。

コリントの信徒への手紙一/ 07章 25節~07章 35節(新共同訳聖書)

          

 マタイの16章で、人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。 はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。」と記されています。イエス様が復活なさったとき、弟子たちの心の中には「終末は、すぐそこに来ている。」という想いがあったのでしょう。しかし、この後も終末は、今日まで起きてはいません。それでは、パウロは終末について誤った時期を思い描いてしまったのでしょうか。わたしは、そうでは無いと思うのです。確かにパウロの生きている間に終末は来ませんでした。けれど、イエス様は仰っているではありませんか。「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じある。気を付けて目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」マル13。ですから、その時に向かって「たえず目を覚ましていなさい。」このことが求められています。


 パウロはローマの信徒への手紙でこう書いています。「私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです」(13:11)。丁度、コリントの人たちからクリスチャンと禁欲生活のことを問われたので、パウロは結婚の問題を例に挙げて、話したのでしょう。結婚にしろ、恋愛にしろ、主を想う方向から逸れてしまうことを危惧しているのです。現在の世界のありようや、人間の思いも、この時の状況と変わらないと言えます。ですからあまりこの世の事柄にこだわりすぎるな、深入りしすぎるな、というのがパウロの助言のように受け取ることが出来るでしょう。パウロほどの人でも、主の来臨がいつなのかは分からなかったのですから、私たちにはなおのことそれが分かるわけがない、ということです。ですから、いつ終末が訪れるのか、いつ世界が終わるのかといろいろ憶測をするのは無駄なことだということです。わたしたちの死もそうでしょう。終末と同じようにいつ来るのか分かりません。だからこそ、今という時が大切です。


 男にしても女にしても重要なことは、神と交わり、神に仕えることです。それは「神によって、わたしたちは独り子主イエス・キリストとの交わりに招き入れられた。」からです。神に仕えることに召されたのが真実であって、どのような環境にあっても、キリストにある者は神から召されたことに忠実でなければなりません。その中に幸せはあるのです。様々に起こる出来事にも、あわてず騒がず、しかし同時に神の子として日々の生活を歩んで行こうではありませんか。その時に向かって「ひたすら主に仕え」積極的に待つのです。わたしたちの命は、肉体の死によって終わるものではありません。ですから、それを超えた向こう側にあるもの、キリストと再び会うその日。神の国の到来に対して備えて待つのです。