礼拝メッセージ(2024年7月28日)「希望を捨て、神の警告を聴く」 エレミヤ5:20~31  杉山望師

20:エレミヤ書/ 05章 20節
これをヤコブの家に告げ、ユダに知らせよ。
21:エレミヤ書/ 05章 21節
「愚かで、心ない民よ、これを聞け。目があっても、見えず/耳があっても、聞こえない民。
22:エレミヤ書/ 05章 22節
わたしを畏れ敬いもせず/わたしの前におののきもしないのかと/主は言われる。わたしは砂浜を海の境とした。これは永遠の定め/それを越えることはできない。波が荒れ狂っても、それを侵しえず/とどろいても、それを越えることはできない。
23:エレミヤ書/ 05章 23節
しかし、この民の心はかたくなで、わたしに背く。彼らは背き続ける。
24:エレミヤ書/ 05章 24節
彼らは、心に思うこともしない。『我々の主なる神を畏れ敬おう/雨を与える方、時に応じて/秋の雨、春の雨を与え/刈り入れのために/定められた週の祭りを守られる方を』と。
25:エレミヤ書/ 05章 25節
お前たちの罪がこれらを退け/お前たちの咎が恵みの雨をとどめたのだ。」
26:エレミヤ書/ 05章 26節
「わが民の中には逆らう者がいる。網を張り/鳥を捕る者のように、潜んでうかがい/罠を仕掛け、人を捕らえる。
27:エレミヤ書/ 05章 27節
籠を鳥で満たすように/彼らは欺き取った物で家を満たす。こうして、彼らは強大になり富を蓄える。
28:エレミヤ書/ 05章 28節
彼らは太って、色つやもよく/その悪事には限りがない。みなしごの訴えを取り上げず、助けもせず/貧しい者を正しく裁くこともしない。
29:エレミヤ書/ 05章 29節
これらのことを、わたしが罰せずに/いられようか、と主は言われる。このような民に対し、わたしは必ずその悪に報いる。
30:エレミヤ書/ 05章 30節
恐ろしいこと、おぞましいことが/この国に起こっている。
31:エレミヤ書/ 05章 31節
預言者は偽りの預言をし/祭司はその手に富をかき集め/わたしの民はそれを喜んでいる。その果てに、お前たちはどうするつもりか。」

 ここ数年、異常な猛暑が襲いかかっています。これは一過性の現象ではなく、これからもっと暑くなっていくことがわかっています。これまで普通だった気候には、もう後戻りすることができません。海面上昇や極度の干ばつによって移住を強いられる人びとやその子孫が、再び故郷へと帰る日が来ることもないでしょう。絶滅が進行している多くの生物種も、二度と地球上に現れることはなくなります。数十年前までは、このような危機に対して対策する時間も能力も十分にありましたが、今となっては、取り返しのつかない変化となってしまいました。
 これまで当たり前だと思っていたことの中には、神の恵みと祝福が満ちあふれていました。例えば、人類は長年、過酷な環境を生き抜いてきましたが、1万年くらい前から気候が安定したことで、農業を始め、文明を発展させることができるようになりました。それは人類にとって、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という神の祝福を実現させるチャンスとなりました。地球とそこに生きる生物のことを知れば知るほど、人類に与えられていた恵みと祝福の大きさに気付かされます。
預言者エレミヤはイスラエルの滅亡を告げました。イスラエルは神の目に悪と映ることを行い続けていました。力を得、富を蓄えた者たちは、より強大になろうとし、みなしごや貧しい人々に不正な裁きを行い続けました。そのため、神の恵みと祝福はイスラエルから失われました。このような時にエレミヤに神から託された言葉には、希望が含まれず、避けられない危機の到来と、それを引き起こした人びとの傲慢と無知に警告が発せられました。
 希望とは、将来に対する期待や明るい見通しのことであり、今よりも将来が良くなっていく可能性があるからこそ語られ得るものです。だから、将来が今より良くなる可能性がないときには、希望を捨て、警告の言葉を聴くことこそが求められます。安易な希望は聞き心地がよく、力ある者には都合のよい言葉でもあります。エレミヤは安易な希望を語らず、これまでの神の恵みと祝福を思い起こさせようとしました。
 私たちもエレミヤのように、危機を危機として受け止め、安易な希望ではなく、その危機に対して語られてきた警告の言葉を聴くことができます。希望を捨て、神の警告を聴くことで初めて、何が大切であり、何が悪とされるのかを知り、将来に向かう道しるべを見出すことができるようになるでしょう。だから、希望を捨て、神の警告を聴くこと、またそれを語ることも、教会の働きとなるのです。