礼拝メッセージ(2024年8月18日)「御許に眠る」 Ⅰテサロニケ4:13~18 石井努牧師
13:テサロニケの信徒への手紙一/ 04章 13節
兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。
14:テサロニケの信徒への手紙一/ 04章 14節
イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。
15:テサロニケの信徒への手紙一/ 04章 15節
主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。
16:テサロニケの信徒への手紙一/ 04章 16節
すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、
17:テサロニケの信徒への手紙一/ 04章 17節
それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。
18:テサロニケの信徒への手紙一/ 04章 18節
ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。
「召天者礼拝」という言葉。これは、生前に私たちと共に信仰生活を送った先輩たちの足跡を偲び、私たちもやがてその交わりの中に入る天国への希望を新たにするための礼拝を指します。けれども私たちは、主イエス・キリストはすべての人の救いのために十字架に掛かられ、そして復活された。そして同じようにわたしたちも復活の命をいただきました。このように信じています。ですから、この礼拝では、生前に信仰を告白されていない方も、「信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」という御言葉にお委ねして、礼拝の列に加えて頂こうと思っています。わたしたちは、天に召された方々を覚え、神さまの愛から私たちを引き離すことはできないという御言葉を共有し、慰めと支えを求めることができるのです。 み言葉では、時々「死」を眠りと表現することがあります。それは、イエス・キリストがそうであったように、わたしたちに「死んでも復活があり永遠の命に生きるようにされている」という希望を与えるためです。キリストと出会う喜びは、どんなに悲しみや罪の苦しみが私たちを襲ってきても、もはや消え去ることのない喜びです。主が私たちに目を留め、主が私たちの心を滞在場所に選び、主が私たちに恵みを豊かに注いでくださっておられる。それは私たちを通して主のみ業が現れるためです。パウロは宣言します。主の来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。すなわち合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降ってこられます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。
このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。既に召天された方たちのご生涯は、私たちのただ中にあって、今もなお輝いています。私たちの前には依然として死が大きく乗り越えることができない壁として立ちはだかっているように見えますが、召天された方たちの生と死は、死が終わりではないということを証ししています。死は究極的なものではない。キリストの復活の生命こそが究極的なものであり、死はそれに至るために古い体を脱いで新しい体を着ることであると確信するのです。 だからこそ、今日を生きるのです。自分の永遠の人生を豊かなものにするために。今を生きているその上にこそ未来の人生もあるのですから。