礼拝メッセージ(2025年1月26日)「恵みへの応答」 Ⅱコリント8:1~15 石井努牧師
1:コリントの信徒への手紙二/ 08章 01節
兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。
2:コリントの信徒への手紙二/ 08章 02節
彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。
3:コリントの信徒への手紙二/ 08章 03節
わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、
4:コリントの信徒への手紙二/ 08章 04節
聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。
5:コリントの信徒への手紙二/ 08章 05節
また、わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げたので、
6:コリントの信徒への手紙二/ 08章 06節
わたしたちはテトスに、この慈善の業をあなたがたの間で始めたからには、やり遂げるようにと勧めました。
7:コリントの信徒への手紙二/ 08章 07節
あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。
8:コリントの信徒への手紙二/ 08章 08節
わたしは命令としてこう言っているのではありません。他の人々の熱心に照らしてあなたがたの愛の純粋さを確かめようとして言うのです。
9:コリントの信徒への手紙二/ 08章 09節
あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。
10:コリントの信徒への手紙二/ 08章 10節
この件についてわたしの意見を述べておきます。それがあなたがたの益になるからです。あなたがたは、このことを去年から他に先がけて実行したばかりでなく、実行したいと願ってもいました。
11:コリントの信徒への手紙二/ 08章 11節
だから、今それをやり遂げなさい。進んで実行しようと思ったとおりに、自分が持っているものでやり遂げることです。
12:コリントの信徒への手紙二/ 08章 12節
進んで行う気持があれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。
13:コリントの信徒への手紙二/ 08章 13節
他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。
14:コリントの信徒への手紙二/ 08章 14節
あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。
15:コリントの信徒への手紙二/ 08章 15節
「多く集めた者も、余ることはなく、/わずかしか集めなかった者も、/不足することはなかった」と書いてあるとおりです。
マケドニア州にはフィリピとテサロニケにパウロが起こした教会がありました。その教会の人たちが、どのような状況に置かれていたのかは、使徒言行録(16)などにも書かれています。福音を受け入れていたマケドニアの教会は。ひどい貧しさがそれに追い打ちをかけていました。教会が貧しかったのは、迫害によって収入の機会が少なくなったからでした。裕福な人は災いを避けて教会に近づこうとはしなかったのかもしれません。そんな事情を知っていたパウロは、マケドニアの教会にエルサレム教会への献金を勧めていましたが、その成果についてあまり期待していなかったようです。ところが「彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。」「彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのです。」と書いている通り、その迫害と貧しさの中にいる教会が喜びにあふれて惜しみなく献金に応じたのです。
まず「神の恵みについて知らせましょう。」というように、パウロは慈善の業と奉仕のことを「恵み」と言っています。パウロにとって、奉仕も援助も、献金も、神による恵みの現れで、わたしたちの神の愛に対する応答に他ならないからです。一方で、6章では「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません」と釘を刺しています。奉仕も献金も本当のところ、神様がわたしたちに下さった賜物があったからこそ出来ることなのです。ですから、その献金も奉仕も神様からわたしたちに与えられた恵みの業であると言えるのです。それによってわたしたちは、神の恵みを分かち会える喜びを手にするのです。
それにひきかえ、コリント教会の人たちには迫害もなく、少数とはいえ高貴な家の者や裕福な家の者もいました。マケドニアの教会に比べれば、豊かだったのです。ところが、この時コリントで起きていたのは「貧しい者が施し、裕福な者が抱え込む」ということでした。パウロは、コリントの教会人たちに呼びかけます。あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。わたしは命令としてこう言っているのではありません。他の人々の熱心に照らしてあなたがたの愛の純粋さを確かめようとして言うのです。パウロは、すべての人々に真の主による、恵みの尊さを知らせようと、マケドニアの人たちの姿とコリントの人たちの姿を知らせて、信仰の道に立ち帰るように、導こうとしたのです。わたしは、富にしがみつく金持ちを多く見てきました。そして、貧しい者ほど富に執着せずに多くのものを捧げる、その姿も見てきました。祝福されることを見返りに施しや献金をしなさいと言っているにではありません。しかし「心が本当に豊かに満たされる」これは事実なのですから。だから、今それをやり遂げなさい。進んで実行しようと思ったとおりに、自分が持っているものでやり遂げることです。 進んで行う気持があれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。