私はクリスチャンになる前は、とある新興宗教を信じていました。そこでは、救われる為には99%の恩籠と1%の自己責任が必要だといわれました。私は1%の自己責任を果たそうと一生懸命に努力しました。散々な結果でした。救いには段階があり、そのために必死に努力しても到達できない自分がいる。何のために新興宗教を信じたのか、そんな疑問がわいてきました。悶々とした日々を過ごしている中で本当の救いはどこにあるのか。まだ見ぬ神様に祈っている自分がいました。

 いつものように新興宗教からの帰りの電車の中で一人の女性から声を掛けられました。私は新興宗教を信じる前は、キリスト教会に行っていたのです。その時は途中で行くのをやめてしまいました。私に声を掛けてくれた彼女は教会の人だったのです。「お久しぶりです。今どうされていますか?」との声に不思議にも私は「○○(新興宗教の名前)へ行っています。」と答えました。それから、その新興宗教がいかに素晴らしいかを話しました。彼女はただ黙って聞いていました。

 私の話が終わると彼女は「Hさんの信仰は素晴らしいと思います。ただ、人間は自分の努力では救われません。泥沼に落ちている人を救う事ができるのは、泥沼の外にいる人です。その人が本当の救い主、イエス・キリストです。」と優しくも力強くイエス様を証している彼女を見て私は圧倒されました。自分が求めている本当の救いがここにあった!わかっていても受け入れられない私がいました。頑固で強情な私でした。そんな私を彼女は忍耐をもってイエス・キリストの愛を語ってくれました。それでも私はイエス・キリストを否定し続けたのです。

 今まで自分が信じてきたものを捨ててイエス・キリストを信じて大丈夫なのだろうか?また同じように失望するのではないか。恐れと不安の中で行き詰っていた私に光を与えてくれたのはイエス・キリストを証してくれた彼女、彼女の教会の牧師、教会の人たち、彼女のクリスチャンの友人たちの愛でした。会った事もない私のためにたくさんのクリスチャンたちが祈ってくれていたのです。自分で自分を救う事ができません。彼らの愛と祈りで私は新興宗教を抜け、イエス・キリストを救い主と信じバプテスマを受けました。

 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられる事がない。」(ローマ人への手紙10章11節)本当の救いがここにありました。