裏切りの口づけを何度でも
教会ではいま受難節、イエス様が人間の罪を救うために十字架にかけられることを前にして教会はこの時を大切に過ごす。一般の人は罪とか十字架といってもよくわからないかもしれない。イエス様は十字架を前にして最愛の弟子たちから裏切られる。その象徴的な出来事がユダの口づけだ。ユダは口づけを合図にして敵に師であるイエス様を売り渡したのだ。最初から敵であれば裏切りはない。一番親しい、愛し合っているからこそ裏切りは最も私たちを傷つける。まさかと信じていた人に裏切られる。イエス様が裏切りの口づけをされたのはユダが初めてではない。人間が罪を犯したときからずっと神さまは裏切りの口づけをされ続けてきた。私だったら一回だけでも怒りにふるえて憎しみに我を忘れてしまうだろう。でも神さまはその痛みと怒りを数えきれないほどしてきたにもかかわらず私たちを赦し招いてくださる。明日もまた私は偽りの口づけをしてしまうだろう。それでも神さまは私を招いてくださる。そんな神さまをぜひ知ってほしい。