私はクリスチャンホームに生まれ、神さまの存在は空気が存在するのと同じように当たり前のように感じて育ちました。小学4年生の時、バイブルキャンプに参加し、何度となく聞いてきたイエスさまの十字架の話が私に語られているように感じました。神さまの存在は信じていても、自分の罪を許してほしいと思ったのはこの時が初めてでした。自分の罪を許してほしいと思い、バプテスマを受けました。
この時からクリスチャンとして歩んでいますが、自分の信仰生活についてや神さまについて深く考えるようになったのは大学生になった頃からだと思います。親元を離れて一人暮らしをするようになり、同年代のクリスチャンや教会の人たちとの交わりの中で、自分が信じている神さまや聖書について考える機会がたくさん与えられました。また、就職・結婚・出産など人生の大きな岐路に立って、弱く小さな私にとってはたくさん試練も経験しました。「クリスチャンでなければこんなことで悩まなくても良かったのに」と思うことも何度もありました。でも「神さま、何で?」と問いかければ問いかけるほど、自分にとっての神さまの存在は大きく確固たるものとなってきたのだと思います。そして、そんな小さな自分を神様は少しずつ変えていってくださり、祈りの大切さを教えられました。それまでは形式的に祈るだけだった自分の祈りが、心から祈り求めるように変えられました。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。(マタイ7:7)」この御言葉を「本当に求めたら与えられるのだろうか」と疑っていたような私ですが、祈り求める私に神さまは応えてくださり、祈りを聞かれるという経験をしました。その中で、苦しみの中で共にいてくださる神さまの存在を強く感じることができました。また、私の祈りに共に心を合わせ祈ってくださった方々がいたことも、私にとって大きな励ましでした。
クリスチャンとしてはまだまだ未熟な私ですが、小学4年生で救われた時から今に至るまで、一日一日神さまに少しずつ近づいているように感じます。これからもほんの小さな出来事に翻弄されるような弱いものですが、祈ることで強められ歩んでいきたいと思います。