礼拝メッセージ(2018年2月25日)
「主がご入り用なのです」
マルコによる福音書:11章1節~11節
林 健一 牧師
ついにイエス様はエルサレムに入られます。ベトファゲとベタニアはエルサレムに行く人々がしばらくとどまって休んで、必要な物を準備する小さな町でした。イエス様がエルサレムに入るときに必要だと要求されたのは、「まだだれも乗ったことのない、ろばの子でした」。(2節)
イエス様に、子ろばを連れて来なさいと言われ、出かけて行った弟子たち。「主がお入り用だ」と言われても納得できたわけではありません。彼らは、なぜ、子ろばが必要なのかという理由を知りませんでした。弟子たちは「イエス様の言う通りにして大丈夫だろうか」「泥棒扱いされないだろうか」不安があったでしょう。それでも、イエス様の言われた通りに出かけて行きました。
出かけて行った弟子たちを待っていたのは、不思議な出来事でした。居合わせた人々は、始めは「子ろばをどうするのか」と言うのですが「主がお入り用だ」と話すと、すんなりと許してくれたのです。イエス様の必要に、思い切って応えて行った弟子たちを待っていたのは、思いがけない主のみ業でした。
イエス様がお乗りになった子ろば。ろばは動物は耳が長く、愛らしい目をしているが、そんなに人気があるわけでもなさそうです。聖書の中でろばは何度か登場するが、興味深い記事として出エジプト記13章と34章があります。そこには家畜の初子の奉献について記されているが、ろばの初子はその対象外とされているのです。つまり、ろばの初子は神様に捧げることから排除された動物でした。それでもろばは荷物を運ぶ上で、重宝されたというが、今日登場するろばは「まだだれも乗ったことのない子ろば」でした。しかし、イエス様が必要とされたのは、まさにその子ろばでした。まだ何の役にも立たない子ろばが、イエス様のもとに連れて来られ、神様のみ業を成し遂げるイエス様のお伴をする大役を与えられたのです。子ろばの心境を代弁することが許されるなら「なぜ私なのですか? お言葉ですが、馬やらくだの方がふさわしいですよ! 私などはじかれ者で、何の役にも立たないただの子ろばですよ」というのではないでしょうか。しかし、まさにその言葉を切り裂くように「主がお入り用だ」との呼びかけがあるのです。「主があなたを必要とされるのだ」。ろば側が提示する条件がどうだということではなく、主が子ろばを必要とされるのです!子ろばに求められるのは、その招きに従うことだけでした。弟子も、子ろばもただ「主がお入り用なのです」とのお言葉によって神様のみ業に用いられたのでした。イエス様に従う、神様のみ心に従うことは、私たちにはわからないことのほうが多いように思います。でもイエス様の言葉に従っていくならば私たちは主のすばらしい出来事を見ることができるのです。