礼拝メッセージ(2018年2月18日)

「神にできることは?」

マルコによる福音書:10章17節~27節

林 健一 牧師

 

本日読んだ聖書箇所のはじめには、イエス様が旅に出ようとしたのを、金持ちの男は走り寄って、引き止めた。そして、ひざまずいて尋ねた。とあります。今日のお話はマタイ、ルカにも出てきます。ルカでは最高法院の議員として登場します。当時ユダヤで最高法院の議員といえば誰からも尊敬される人でした。富と名声と力があった人です。そんな彼がイエス様のまえに人目を気にしないでひざまずき、しかも「善い先生」とイエス様に教えを乞いに来たのです。彼の姿勢に謙遜かつ真理を教えてほしい。知りたいと願う、熱心な気持ちがあらわれています。それだけでも彼は当時の価値観から自由であった人のように思うのです。彼は心ひらかれた人であった。そんな彼でさえも自分自身に捕われていたというお話でもないでしょうか?
議員という面子を捨ててまでも、彼はイエス様に何を尋ね求めたのでしょうか。17節「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」彼は「永遠の命を受け継ぐ」ことができるにはどうしたらいいのか、答えを求めていたのでした。永遠の命という言葉を聞く時 肉体 魂の永続ということを考えてしまいます。現代において日本は世界のなかでも長寿国です。日本人の平均寿命が男が80歳、女が87歳です。しかし、長生きすることが良いことかと言えば大変なこともあるでしょう。老後をどう暮らしていけばよいのか?健康でいられるか?一人あるいは二人で暮らしていくことの大変さ、などいろいろな問題があります。今の時代でも生きることがこんなにも大変なことですから、イエス様がいた時代、生きるということは戦いであったと思います。生き残るために、という思いがあるように感じます。ですから、永遠の命というときに彼は真剣にイエス様に問いかけたのです。いったいどうしたら永遠の命を継ぐことができるのか?彼は神の国に入る確信を求めていました。すでに、聖書には答えがでています。ヨハネ17章3節には「永遠の命とは、唯一のまことの神と、神がお遣わしになったイエス・キリストを知ること」また、ローマ5章21節には「わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです」主イエス・キリストを通して永遠の命が与えられるのです。すでに、金持ちの男は永遠の命を与えるお方、主イエス・キリストにお会いしていたのです。彼が求めていた永遠の命は、彼の目の前にあったのでした。イエス様はどのようにして彼を永遠の命へと導かれるのでしょうか?(林)