礼拝メッセージ(2024年3月24日)
『 主の御計画 』
石井努 牧師
ヨハネによる福音書 19章:23節~30章

23:ヨハネによる福音書/ 19章 23節
兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。
24:ヨハネによる福音書/ 19章 24節
そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、/「彼らはわたしの服を分け合い、/わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。
25:ヨハネによる福音書/ 19章 25節
イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
26:ヨハネによる福音書/ 19章 26節
イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。
27:ヨハネによる福音書/ 19章 27節
それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
28:ヨハネによる福音書/ 19章 28節
この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。
29:ヨハネによる福音書/ 19章 29節
そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。
30:ヨハネによる福音書/ 19章 30節
イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。

ヨハネによる福音書 19章:23節~30章(新共同訳聖書)

 イエス様はわたしたち人間の罪をお一人で背負い十字架にかかられたのです。神の人間に対する憐れみのゆえに、その愛のご計画のもとに死なれたのです。
今、十字架の上でイエス様は、自らの渇きを通して、渇いている者たちの苦しみや悲しみを一身に負われたのでありましょう。パウロはへブル人への手紙4章の中でイエス様の十字架を次のように語っています。「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できないお方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。」主ご自身が、試練を受けて痛みを知り、」苦しまれたからこそ、試練の中に置かれている人々に寄り添うことが出来るのです。このことを、弟子たちをはじめ、そこから動けずにいた女性たちを通してわたしたちに知らしめることになりました。これは、わたしをはじめ多くクリスチャンたちがそのような痛みの中にある時「主はご存じで、共に味わっていてくださる」。イエス様ご自身が知っていてくださるという御心を意味しているのです。それゆえに、わたしたちは主に信頼することが出来るのではないでしょうか。
 十字架上のイエス様は、受肉された人間の死の渇きのただ中で、「すべての事が成し遂げられた」と言うのです。わたしたちが悩むとき、主も共に悩んでくださる、わたしたちの助け手、贖い主となられたのです。この苦しみの中でも、イエス様は憐れみと愛のまなざしを向けられるのです。イエス様は、地上におけるご生涯だけではなく、この十字架の出来事以降も義と不義を分ける働きをされます。イエス様の独り子としての御業は、贖われた人たちのその後の新しい人生の創造であり、人々を結び合わせることにあったのです。苦しみ「渇く」その中で、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。 27それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。と記されている通り、その愛の配慮を示されているのです。わたしたちを家族となさったのです。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。15:5 1月の2週にお話ししたように、イエス様に繋がる。イエス様の下に留まる者だけがその愛を知るのです。
 イエス様は差し出された葡萄酒を受け取ると「成し遂げられた」と言って、息を引き取られました。イエス様のご生涯がここに終わった。と受け取ってはいけません。これは終わりではなく完成なのです。人間から見れば終わりでも、神の側から見れば愛のご計画の完成なのです。なぜなら、ここから人間救済の業は始まったのですから。こうして、イエス様は、サタンの攻撃にあっている人、苦しむ人々、文字通り「渇いて」いる人々の主となられました。