礼拝メッセージ(2018年2月4日)
「自分の家に帰りなさい」
マルコによる福音書:5章1節~20節
林 健一 牧師
一人の異邦人を救うために(1~2節)
イエス様と弟子たちは、「湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた」とあります。ここはイスラエルの民の地ではなく、異邦人の地です。最後の20節に「デカポリス地方」とありますが、「デカ」とは数の十、「ポリス」は町です。この地方には、ローマ人が建てた十の町があったのです。イスラエルの人たちにとってローマは自分たちを圧制によって支配している憎むべき存在でした。しかし、イエス様がこの向こう岸、異邦人の地に渡られたのは、本日の箇所に語られている一つの御業のため、つまり一人の人の救いのためでした。一人の異邦人を救うために、イエス様は、あの嵐の湖を渡って来られたのです。
汚れた霊に取りつかれた人(3~5節)
イエス様に救われた人はどんな人だったのでしょうか。2節に「汚れた霊に取りつかれた人」岩波訳は「穢れた霊の中にいる人」です。この人が完全に汚れた霊に支配さている様子が伺えます。その姿はさらに3~5節にこのように描かれています。第一には「墓場を住まいとしており」第二に「だれも彼を縛っておくことはできなかった」第三に「昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた」汚れた霊によって人間性を失い、家族や社会との関係も断たれ、自分を傷つけてしまう、しかし誰もこの人を救うことはできませんでした。
かまわないでくれ(6~16節)
この人はイエス様を遠くから見ると、走りよってひれ伏しました。イエス様に救いを求めるためではありません。7節の言葉を語るためです。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ」この「かまわないでくれ」を直訳すると「私とあなたの間に何の関係があるのだ」となります。彼がイエス様に言ったのは、「俺とお前は関係ないだろう。俺は俺、お前はお前だ。俺のやっていることに口出ししないでくれ」。私たち人間を、イエス様とイエス様をお遣わしになった父なる神様と、無関係にしておこうとしているのです。人間に、神という束縛からの自由を求めさせ、神に対して「私にかまわないでくれ、口出しするな」と言わせることが悪霊の目的なのです。そのように神様との係りを失い、神様から自由になることによって人間は、悪霊の奴隷、罪と死の奴隷になるのです。
自分の家に帰りなさい(17~20節)
しかし、イエス様はこの人から離れず救おうとされるのです。汚れた霊に取りつかれた人はイエス様によって解放されました。悪霊の支配から解放されたこの人の姿が15節にあります。彼は「服を着、正気になって座っている」。私に「かまわないでくれ」と言った人がイエス様の足もとに座っているのです。この人はイエス様と「一緒に行きたいと願った」(18節)とあります。しかし、イエス様は彼を自分の家と帰されるのです。そこで神様の御業を証ししなさいとあらたな使命を与えられました。私たちの主は一人ひとりに為してくださった救いの御業を人々に証しすることを求められています。今週も与えられた恵みを人々に証ししていきましょう。(林)