礼拝メッセージ(2018年1月14日)

「あなたの罪はゆるされる」

マルコによる福音書:2章1節~12節

林 健一 牧師

 

中風の人が四人の人に運ばれてイエス様のもとにつれて来られます。イエス様はその人に罪の赦しを宣言し、ご自分に罪を赦す権威があることを示されます。その人が起き上がり、床を取り上げて出て行くと、人々は神様を賛美します。
無力な人生 イエス様がカファルナウムにおられるとき、大勢の人が家の中でイエス様のことばを聞きました。その時、一人の中風の人が4人の人に運ばれて、イエス様のもとに来ました。この中風の人は自分の力と努力ではいやすことのできない、徹底的に無力な人生を生きていました。人間はだれでも自分の力では解決できない限界と問題を持って生きています。しかし、このように弱い者にも希望があります。それは自分の無力さを認め、神様の前に出ることです。
信仰さえあれば 一人では何もできない中風の人と、彼を運んできた四人の友人には、イエス様の前に来れば病をいやしていただけるという信仰がありました。その信仰をイエス様は見られました。(5節)。数多くの人々の群れのために、イエス様に会うことは簡単ではありませんでしたが、彼らにとってそれは問題ではありませんでした。信仰さえあれば、どんな問題でも問題ではなくなるのです。信仰さえあれば、私たちの霊と肉体すべてを完全にしてくださるイエス様に出会えるのです。
罪を赦されたイエス イエス様は五人の信仰を見ながら、病の人の罪を赦されました(5節)。それだけでなく、彼の病までいやされました。イエス様の奇跡はイエス様が神様だということ、罪を赦す権威を持っておられるということを示す出来事でした。(10節)。また、人間が最優先で解決しなければならないことが罪の問題だということを教えてくださいました。イエス様は単純ないやし主ではありません。神です。イエス様を通して霊肉の健康を保ちましょう。
イエス様は病の人とその友人の信仰を見られ、病をいやされました。主が私たちに求められるのはまさに信仰です。信仰は私たちの思いと状況、そして人生に変化を与え、神様の子どもとしての人生を歩ませてくれるのです。自分の弱さを認め、イエス様だけを見上げる人となってください。 (林)