礼拝メッセージ(2018年10月21日)

『神はわたしたちの避けどころ 』 詩編 46編:1 ~12節  牧師 林 健一

神はわたしたちのさけどころ
詩編46編2節 「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。」
神様は私たちの避けどころである。私たちを守ってくださる砦となってくださる神様。私たちにとって守りとなってくださるということはいったいどのような守りを私たちは連想するでしょうか?「進撃の巨人」という漫画には人間が巨人から守るために高い壁の中に住んでいるというストーリから始まります。主人公の少年と友人たちは生まれたときから壁の中で育ってきて、突然壁を壊して自分たち人間を襲ってくる巨人たちと闘うという展開になっていきます。自分たちを守っていた壁がなくなってしまい自分たちで身を守るしかないという状況のなかで物語が進んでいきます。私たちが連想する神様の守りというのはあらゆる災い、危機から壁となって守ってくださる。壁の中にいる私たちは「安心、安心」と左団扇で暮らす。しかし、このことが本当に私たちにとって神様の守りになると言えるのでしょうか?46編を賛美したイスラエルの民は神様が守りとなってくださることはもちろんのことここで忘れてはならない最も大切なこととして「神様との関係」こそ、自分たちの避けどころであり、砦となることを信仰の告白として謳っています。「苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。」
イスラエルの民が神様を見出したのは何の心配もなく歩んできた時ではなく反対に苦難に遭う中で救いだしてくださった主の御業でした。3~7節にはさまざまな苦難や恐れのなかで神様に信頼していくと詩人は告白し賛美を神様に捧げています。神様の救いは「私」でなく「私たち」に広がるのだと神様の救いの大きさについて賛美しています。

力を捨て 神をただ知ること
詩編46編11節「力を捨てよ、知れ わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」イスラエルの民の過ちは神様の守りを使って自分たちの人生のために力を用いようとしたことでした。私たちは「神様守ってください。後は自分のやりたいようにします。」と言う本音があります。けれど、神様は私に力を捨て、神様に信頼するように促されます。あなたが弱くても、私が共にいるではないか、私のもとに来なさいと神様は呼んでおられるのです。「捨てよ」には「手を引く、手放す、降伏する」と意味があります。あなたが本当に神様の守りを体験するために神様は「力を捨てよ、神御自身を知ること」に心を向けよと言われます。

行こう、キリストのもとに
詩編46編12節「万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。」
最後に詩人は万軍の主が共におられると高らかに賛美を捧げます。私たちには十字架のキリストがおられます。どうか、主の十字架のもとに共に行きましょう。そしてこの方を仰ぎ見てすべてを委ねていきましょう。このお方こそが避けどころであり砦なのです。