礼拝メッセージ(2018年10月14日)

『神は全地に満ちている 』 詩編 8 : 1 ~ 10 牧師 林 健一

「神は全地に満ちている」!
主よ わたしたちの主よ
あなたの御名は、いかに力強く
全地に満ちていることでしょう。(8:2)

詩編8編のはじめの言葉であり10節の終わりも同じ言葉で締めくくられています。ですから、8章全体のテーマであり、結論であるわけです。
私たちが今の家庭、社会、世界を見た時、それをひと言で何と言うでしょう。ダビデはここで、「どこを見ても、神よ、あなたの御名、あなたの御手、あなたの恵みが見えます」と言っているのではないでしょうか。
ダビデは、幼いころから神様を知り、神様に信頼して歩んできた人でした。あの巨人ゴリアトを倒した時に、ダビデは、ゴリアトに向かって「お前は、剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの鮮烈の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。」(サム上17:45参照)と言うことが出来たほどの勇ましい信仰を持っていました。ダビデにとっては、神様が偉大で、力強いことは、当然のこと、分かりきったことだったはずです。ところが、ここで、ダビデは、神様を思う時、まるではじめて神様の偉大さに触れたかのように、その偉大さに驚きの声をあげ、神様をほめたたえているのです。なぜでしょうか?
やがてダビデはイスラエルの王となりました。王となった今、イスラエルの人々の沢山の期待を背負って、身の丈以上に大きくなろうとしていた自分。強い王になりきれない自分に無力を感じてしまったりして疲労困憊していたダビデがいました。

そのあなたが御心に留めてくださるとは
人間は何ものなのでしょう。
人の子は何ものなのでしょう
あなたが顧みてくださるとは。(8:5)

ヘブライ語で「人」とは、弱くもろいもの、「人の子」とは、赤色の土、ちりに帰り死ぬべきものという意味があるそうですが、そんな弱く小さい私たち人間を、偉大な神様が御心に留め、顧みてくださるというのです。人とはいったい何者なのでしょう。
ダビデは神様を見ていることから見られている、いつもダビデに向けられている神様のあたたかいまなざしに気づいた時、ダビデは平安と喜びを感じたのです。クリスチャンは神様を見上げることも大切です。ですがこんなちっぽけな自分に向けれられている神様のまなざしを知るならあなたの信仰の歩みはダビデのように何ものにも揺るがされることのないものとなるのです。