礼拝メッセージ(2018年12月2日)

『主が再び来られる日まで待ち望む教会』マタイによる福音書 28:16 ~20  牧師 林 健一

弟子として生きるチャレンジ

キリストの弟子として生きるということは恵みでもあり、私たちに難しいチャレンジを投げかけています。キリストの弟子として生きるということは立派になることでなく自分が罪の中にあって惨めで救いがない者であることを何よりも深く自覚しなければならないないからです。救いようのない自分を知って私たちははじめて自分に救いが必要であることを知る者とさせられるのです。イエス様はそういう者こそ福音を伝える者としてふさわしいと言われます。

同時にキリストの十字架による赦しと愛を知った者は、神の世界による愛と自由をもって新しい歩みをふみ出すことができる者になることを教えています。キリストの十字架による赦しと愛はどうしたら知ることができるでしょうか?赦しと愛は知るものでなく体験するものです。ではどうしたら体験することができるのでしょうか?簡単なことです。しかし難しいチャレンジです。自分を毎日キリストの十字架のもとに置く、キリストの御前に赦しを得るために出て行くのです。自分をキリストの御前に低くしなければ、罪を赦すお方がキリストである。待つ謙遜な心がなければできないことです。

クリスチャンは神様の恵みを待つ忍耐強さが求められます。待つことは辛いことですが、同時に現実になったときの喜びはいかばかりのものでしょうか?アドヴェントには到来という意味があると言いました。イエス・キリストが人の子としてこの地上に到来するクリスマス、そして教会は到来にもうひとつの意味を込めて待ち望みます。イエス・キリストの再臨です。主がもう一度再び来られるときこの世界に完全な神様の正義が現される。クリスマスは喜びの時でもありますが、 キリストの弟子である私たち教会がどう主の赦しと恵みにあってこの一年を歩んでいくのかを決意を込めて新たなスタートをする時でもあるのです。