礼拝メッセージ(2018年12月9日)

『救い主イエス・キリストの系図』マタイによる福音書 1章:1 ~17節 牧師 林 健一

「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。」(1:1)
マタイは福音(よき知らせ)であるイエス・キリストのことを書くにあたり、どうして系図を最初に持ってきたのでしょうか?まず人を知ってほしいのであるならその人物について書き始めるのが普通だと思います。しかし、マタイはイエス・キリストの系図をとおしていまの私たちに何を伝えようとしているのでしょうか。

 

1 神さまが人間の救いの歴史を始められました。
マタイはイエス様の系図の一番初めにアブラハムの名を挙げます。アブラハムを出発点としてイエス様まで続く系図は、イエス・キリストまでの人間の歴史である。と同時に神さまの救いの歴史なのです。この世界は罪の世界です。神さまはいない。信じないという罪の心を持ってしまった私たち人間を神さまが見捨てずに導かれつづけた愛がイエス・キリストの系図なのです。

2 人間の歴史のなかに救い主イエス・キリストは誕生された。
神さまの救いは、イエス・キリストの誕生によって現実に私たち人間の歴史のなかに確かに実現したことをイエス・キリストの系図は語ります。マタイは系図の終わりに「このマリアからメシア(救い主)と呼ばれるイエスがお生まれになった。」(1:16)。救い主イエス・キリストが神話的な架空の人物でも単なる理想の人物でもなく、実に歴史的な実在人物であるということを、証言しています。イエス・キリストはいまも、生きて救いの御業をなしておられるお方です。

3 救い主イエス・キリストは人間の罪の歴史を背負ってこの世に誕生された。
いま、私たちの中に現実に生きて働いておられる救い主イエス・キリストはただこの世界に生まれたのではありません。人間の罪の歴史を背負ってこの世に誕生しました。イエス・キリストの系図には異邦人である4人の女性が出てきます。そして、その女性たちはそれぞれ問題を持っていました。そういう女性たちがイエス様の系図に入れられているのです。それはイエス・キリストによって男性も女性も、ユダヤ人も異邦人も、あらゆる人々が救いの対象にされていることを暗示しています。罪を背負い続け、滅んでいかなければならないような人がイエス・キリストのゆえに神の子とされるのです。
イエス・キリストの系図は、神さまの救いの歴史であり、救いのご計画が救い主イエス・キリストによって成就されたことを宣言しているのです。この救いはすべての人に与えられているのです。いま、イエス様を信じている私たちがイエス・キリストの救いの系図の中に入れられていることをもう一度確認して、神の民として新しく歩んでいこうではありませんか。