礼拝メッセージ(2026年4月19日)「愛を教える恵み」テトスへの手紙2章11~15節

神の恵みによって変えられる

今月から3カ月かけて、テトスへの手紙とテモテへの手紙Ⅰ・Ⅱを続けて読んでいきます。これらの手紙は使徒パウロから、教会での働きを託されたテトスやテモテに書かれた手紙で、「牧会書簡」と呼ばれています。他の多くの手紙が教会宛に書かれているのとは違って、牧会書簡はテトスやテモテといった個人に宛てて書かれています。

キリスト教会が立てられて、まだ間もないころだったため、教会を指導する司教はいませんでした。そのようなときにも教会には様々な問題や課題が出てきたため、それをどのように解決し、乗り越えていくか、ということが、これらの手紙の中に書かれています。

問題の一つには、教会に「異なる教え」の影響が出てきたことがありました。詳しくはわかりませんが、救われるために律法遵守を求める教えや、信仰よりも知識によって救われるという教えがあったようです。いずれにしても、「異なる教え」はイエス・キリストへの信仰から離れてしまうものだったために、パウロが伝えた「健全な教え」を語るように命じられています。

そのとき、教えの中身について詳しく語るのではなく、その教えがもたらす姿勢や態度に注意が向けられています。パウロを手本として、テトスやテモテを模範とすることで、彼らが伝えた主イエスに倣う者となっていくことが期待されていました。そこには教会が周りの人々からどのように見られ、受け入れられるか、という意識もあったのかもしれません。

テトスへの手紙2章1~10節にも、年配の男性や年配の女性、若い女性、若い男性、奴隷にそれぞれ勧めるべき姿勢や態度が語られています。ここで挙げられた具体的な事柄は、当時の社会の一般的道徳に近いものとなっています。その中には文字通り受け止められるものもありますが、現代社会には当てはまらないものも含まれています。

大切なことは、これらの道徳的な項目を文字通り適用させることではありません。当時の教会の人々が、イエス様に倣った姿勢や態度はどのようなものかと考えていたように、私たちも現代社会の中で、イエス様に倣う生き方を模索していくことでしょう。そしてその時に、善い行いをする動機となるのは「神の恵み」だった、ということが大切なのではないでしょうか。

「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。」(テトスへの手紙2章11~13節)

神様の恵みがこの世に現れたこと、イエス・キリストがこの世に現れて、私たちのためにご自身を献げられたこと、それによって私たちは新しく生まれ変わらされ、イエス様に倣って生きようとする思いを与えられました。時代が変わり、社会が変わっても、イエス様に倣って生きようとすることが大切なのは変わりません。

終末をもたらすもの

続く2章14節では、このように語られています。

「キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法 から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。」(テトスへの手紙2章14節)

イエス様の救いの御業は、私たちを不法から贖い出し、良い行いを熱心に行うようにさせるためでした。救われて終わりではなく、イエス様に倣い、仕える者となることが期待されていたのです。

ここでは私たちを「不法から贖い出し」たと言われいます。他の箇所を見ていくと、イエス様が語られた言葉の中で、「不法」という言葉がありました。

「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。」(マタイによる福音書24章12節)

この言葉は、世の終わるとき、つまり終末にはどのような徴があるのかという問いに対するイエス様の答えの中にありました。そこでイエス様は、「わたしがメシアだ」と言って人々を惑わす人物が現れたり、戦争が起こったり、各地で飢饉や地震が起こったりするだろう、と予告されました。その中で多くの人が躓き、裏切りが起こり、互いに憎み合うようになっていく。そして不法が増えていき、愛が冷えていく、とおっしゃいました。

このようなことは、今の時代に起こっていることと重なって見えます。先日、トランプ大統領が自分をイエス様と置き換えたAIの画像を公開して、批判を浴びていました。それは「わたしがメシアだ」と主張する画像に見えました。自分をイエス様の生まれ変わりだとする主張は、統一教会のようなカルト宗教でよく語られます。

戦争もロシアによるウクライナ侵攻があり、イスラエルによるガザへのジェノサイドがあり、アメリカとイスラエルによるイランへの攻撃がありました。アフリカのスーダンでは、2000万人以上が深刻な飢餓に直面しています。排外主義が各国で強まり、異なる他者への憎しみが増し加わっていくのを見ると、世も末だと感じてしまいます。

ただ同時に注目したいのは、イエス様が終末の徴について語る前に、「人に惑わされないように気をつけなさい」、と忠告しておられたことです(マタイによる福音書24章4節)。社会の中で混乱が広がっていくと、人を惑わそうとする人も増えてきます。これは終末が到来する徴だとか、これは神の御心だと語る人々もいるでしょう。

けれども、振り返ってみると、偽メシアも、戦争も、飢饉も、地震も、今の時代に初めて現れたことではなく、これまでも何度となく現れてきました。そしてそのどれもが終末をもたらしはしませんでした。終末の徴として語られたことは、今すぐ終末が来るという証拠ではありません。

この箇所でイエス様は最後にこのようにおっしゃいました。

「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」(マタイによる福音書24章14節)

終末をもたらすのは、偽メシアや戦争や飢饉ではありません。終末をもたらすのは神様です。そして神様は、神の国の福音があらゆる民へ、全世界へ宣べ伝えられてから、終末をもたらそうとしておられます。不法がはびこると愛が冷えていきますが、イエス様の再臨に備えるためには、愛を保ち、増し加えていくことが大切なのです。

イエスに倣って愛すること

神様は律法を通して神に倣う生き方を教えておられました。数ある律法の中で最も重要なものは何かと尋ねられたイエス様は、このように答えられました。

「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイによる福音書22章37~39節)

聖書の律法も、その当時のユダヤ人が置かれた環境の中でどのように生きるべきかを教えています。そのため、私たちの生活にそのまま当てはめることができないこともあります。それでも、律法の指し示す方向は、私たちにとっても変わらず大切です。それは神を愛し、隣人を自分のように愛することです。

イエス様は律法を廃止するために来たのではなく、完成するために来たともおっしゃっています。イエス様の十字架の死と死からの復活は、私たちを神様と和解させ、再びつなぎ合わせて、神様を愛する者へと新しく生まれ変わらせるものでした。神様に背く罪人を、神様に向かって生きる神の子として迎えてくださる。それがイエス様の救いの御業でした。

そして神を愛することは、隣人を自分のように愛することと繋がっています。神様が愛してくださったこの私を、自分自身で受け入れていく。そして自分を大切にするように、隣人も大切にしていく。イエス様に倣って、愛することを大切にする人が増えていくことが、神様が変わらずに指し示している方向です。

愛するということは、好きになることと同じではありません。また、隣人も人間だけに限らず、人間以外の被造物も含めてよいかもしれません。先週、昆虫が激減していることをお話しましたが、昆虫も神様の被造物であり、私たちが生きるためにもなくてはならない存在です。昆虫が好きになれなくてもいい。ただ、その存在を受け入れ、大切さを認め、共存していく方向を目指していくことは必要だと思います。

人と人との関係も同じです。自分たちの利益ばかりを求めて、力が振るわれることが増えていくと、愛は冷えていきます。異なる人、好きになれない人も、神様によって造られた大切な存在であることを認め、どのように共存していくことができるのか、恵みを分かち合うことができるのかを考えていくことが、イエス様に倣うことなのではないでしょうか。

すべての人に

神様の恵みは、すべての人々に救いをもたらす恵みでした。神の国の福音は、あらゆる民へ、全世界に宣べ伝えられるものでした。何の壁もなく、すべての人を愛し、救い出そうとされる神様の御心を覚えます。

私たちは神様の恵みによって救われ、イエス様と共に歩む感謝と喜びを与えられました。この世は不完全なままで、過ちも多く、私たちも誘惑や欲望に襲われますし、様々な弱さも持っています。それでも神様が期待し、招いてくださった道を、私たちにできる形で精いっぱい、歩んでいきたいと思います。

私たちに与えられた恵みが、すべての人々に分かち合われ、愛の冷えるこの世にイエス様の愛が広がり、神を愛し、隣人を自分のように愛することが広がっていく。この限られた世界の中で共存していく道が開かれていく。そのことを祈り求めながら、イエス様と共に歩んでまいりましょう。

牧師 杉山望

※このホームページ内の聖句は すべて『聖書 新共同訳』(c)日本聖書協会 から引用しています。

 (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation

 (c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

参考書籍・サイト

『新共同訳 新約聖書略解』山内眞監修、日本基督教団出版局、2000年

『<新約聖書Ⅴ>パウロの名による書簡 公同書簡 ヨハネの黙示録』新約聖書翻訳委員会、岩波書店、1996年

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