礼拝メッセージ(2026年5月10日)「すべての人々のために祈る」テモテへの手紙一 2章1~7節

祈りの対象はすべての人々
私たちは今年度の教会の主題を、「主を見上げ、共に祈る教会」としました。今日の箇所はこの主題とも深く関連しているように思います。私たちが見上げる主なる神様がどのようなお方であるのか、また共に捧げる祈りはどのようなものであるのか、ということを、テモテへの手紙から考えてみましょう。
まず目に留まるのは、パウロがエフェソの教会の人々に向けて、第一に勧めたことです。
「願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。」(テモテへの手紙一 2章1節)
願い、祈り、執り成し、感謝という四つの言葉は、どれも祈りと関連するものです。それぞれは違う事柄を指すものですが、ここでは願い、祈り、執り成し、感謝を一つにまとめて、教会が捧げる祈りの全体を表しています。ここでパウロが特に強調していることは、その祈りを「すべての人々のために」捧げるということです。
私たちが捧げる祈りにも、聖書の中の祈りにも、様々な祈りがあります。自分自身の必要のために祈ることもありますし、私たちの家族や友人、教会の友のために願い、執り成し祈ることもあります。また、神様から与えられた恵みや助けへの感謝も祈ります。
イエス様が教えてくださった「主の祈り」では、神様を天の父と呼び、御名をほめ讃え、神の国の到来と御心の成就を祈ります。また、私たちに必要な糧を求め、私たちの罪の赦しを願い、私たちを誘惑から救い出してくださるよう求めます。私たちが個人的に捧げる祈りは、身近な事柄を祈ることが多いかもしれません。
それに対して、パウロはエフェソの教会に向けて、すべての人々のために祈りを捧げることを求めました。イエス様の福音はパレスチナに留まらず、地中海沿岸の各地に伝えられ、新しい教会が建てられていきました。教会にはユダヤ人だけでなく、多様な人が加わっていきました。特定の地域や民族に限定されない福音の普遍性が表れていたころでもありました。
普遍的な福音を伝える教会は、特定の国や地域、民族や性別を選ぶのではなくて、すべての人々のために祈ることが求められます。その「すべての人々」には、クリスチャン以外の人も当然含まれます。パウロがここで挙げている王や高官はローマ帝国の皇帝や高級官吏ですが、その人たちの中にクリスチャンはまだいなかったでしょう。教会は宗教や信仰をも超えて、すべての人々のために祈ることが求められているのです。
すべての人々に向けられた愛と贖い
教会がすべての人々のために祈るのは、教会の主である神様が、すべての人々が救われることを望んでおられるからです。
「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」(テモテへの手紙一 2章4節)
注意したいのは、救われるということが神様から恵みや祝福をいただくための条件ではない、ということです。神様はすべての生命の創り主であり、すべての人々が恵みを分かち合って生きることを望み、すべての生命を祝福で満たそうとしておられます。私たちが信仰をもつ前に、既に恵みと祝福をいただいていたのと同じように、信仰をもっていても、もっていなくても、神様は恵みと祝福を与えてくださいます。
ところが、残念なことに今でも信仰を悪用して自分たちが起こした戦争や虐殺を正当化する人々がいます。それは神様の御心に適ったことなのでしょうか。神様はすべての人々のために祈ることを求め、すべての人々が救われることを望み、すべての人々を祝福しようとするお方です。そうであるならば、信仰が違うことは、殺していい理由にはなりえません。
私たちは神様が唯一であると信じています。人間から見ると、その神様を信じる人も、信じない人もいます。しかし唯一の神様から見るならば、ご自身こそがすべての人々にとっての神なのです。信じる人も、信じない人も、神様によって、神様に似せて造られ、生命を与えられた人間です。誰一人、失われていいわけはなく、誰もが救われ、祝福を受け継ぐべきなのです。
神様と私たち人間の間に立ち、結び合わせてくださるキリスト・イエスもただお一人です。イエス様は神と人、人と人、さらには人と被造物との引き裂かれた関係を修復し、平和を打ち立てます。そのために、すべての人々の罪を負って十字架に架けられ、死に引き渡されました。
イエス様がなされたその贖いの御業は、特定の人々のためのものではなく、すべての人々のためのものです。信じた人だけでなく、信じない人も、裏切り、見捨てる人も含めて、すべての人々のために、です。神様の愛の対象にならなかった人も、イエス様の贖いの対象とならなかった人も、一人として存在しません。神様が唯一であり、イエス様がただお一人であるからこそ、その愛と贖いはすべての人々に向けられているのです。
向きを変えることを願う祈り
今日の箇所でもう一つ気になることは、すべての人々の中からわざわざ王や高官を取り上げて、そのために祈るように求めていることです。これをどのように理解すればよいでしょうか。王や高官のために祈る理由について、パウロはこのように言っています。
「わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。」(テモテへの手紙一 2章2節)
このパウロの言葉には、まだ社会的に認められていない教会が、強大なローマ帝国の中で生き残っていくための戦略が含まれているのかもしれません。つまり、ローマ皇帝を神として崇めることはできないけれども、皇帝のために神様に祈ることで、帝国に反する者ではないことを示そうとした、ということです。
ただし気をつけなければならないのは、王や高官のための祈りは、為政者の過ちを黙認したり、為政者の暴走を支持したりすることを勧めているわけではない、ということです。なぜならば、神様が望んでおられることは、「すべての人々が救われて真理を知るようになること」(4節)だからです。
イエス様は弟子たちに言いました。
「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネによる福音書14章6節)
つまり真理を知るとはイエス様を知ることであり、イエス様を通して神様を知ることです。教会の祈りは、自己保身のために為政者にすり寄って、為政者の成功のために祈るものではありません。教会の祈りは、為政者も含めたすべての人々がイエス様と出会い、神様の御心を知り、それに応えるためにすべての人々が神様に向きを変えることを願うものです。
そもそも為政者が過ちを繰り返し、暴走するような状況では、私たちが「平穏で落ち着いた生活を送る」ことなどできるはずもありません。ここ数年だけでも、為政者による政策がどれほど世界を混乱に陥れてしまうものであるか、為政者の引き起こした戦争や争いがいかに多くの人の生命を奪い、社会を不安定にさせてしまうか、ということを、私たちは目の当たりにしてきました。
また、為政者だけでなく、私たちも含めた先進諸国の政治・経済が、地球の気候を崩壊させつつあることも、私たちは知っています。先日、気象庁が40℃以上になる日を「酷暑日」と呼ぶことを決定しましたが、今年も複数の地点で酷暑日となることが予想されています。4月から既に夏日になり、今月中にも真夏日となる日が出てきそうです。「平穏で落ち着いた生活」を続けるためには、力を持った時に自分のことだけを考えるのではなく、神様に向きを変え、神様の御心を求めることが必要不可欠なのです。
すべての人々のための教会の祈り
現在も続いているホルムズ海峡の封鎖によって、エネルギーや資源の不足が懸念され、既に日本社会にも影響が出始めています。この出来事によって、私たちの生活は、自分の国だけで成り立っているわけではなく、世界中と繋がり、様々なものを得ることによって成り立っていたことを意識させられています。
また、気候崩壊の原因を作ったのは先進国であるのに、その影響は世界中に及んでいます。これ以上の崩壊を止めるための対策は、自分たちだけで行えるものではなく、各国が協力して取り組まなければ成功することはあり得ません。その点でも、私たちはすべての人々と繋がっています。
さらに言えば、私たちは人間同士で繋がっているだけではありません。人間が平穏で落ち着いた生活をするためには、神様によって造られた大小さまざまな生き物が満ち溢れる環境が不可欠でした。私たちはすべての人々と繋がっているだけでなく、私たちがまだ知らないものも含めた数えきれない生き物たちとも繋がっているのです。
これらのことを踏まえると、神様の望んでおられることはどのようなことだと考えられるでしょうか。
「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」(テモテへの手紙一 2章4節)
私はこれが単にすべての人々がクリスチャンになればいい、ということだとは受け止められません。現実に、クリスチャンの為政者たちが過ちを繰り返し、暴走するあり様を見せつけられています。クリスチャンになることはゴールではなく、すべての人々が神様に向きを変えることに向かう途上の出来事なのではないでしょうか。
クリスチャンは神様の恵みや祝福を独占しているわけではありません。クリスチャンとは、自分が神様に背を向けていた罪人であることを知り、イエス様によって新たに向きを変えさせられ、神様の御心を求めて歩み始めた者たちのことです。罪人である私を神様は見捨てず、この私の罪をイエス様は担い、贖ってくださった。だから神様の御心を求め、イエス様に従って生きようとする。神様を知り、イエス様と出会った素晴らしさを喜び、それを分かち合おうとして証しするのです。
キリスト・イエスを頭とする教会は、神様の御心がこの世で行われること、神様の望みが実現することを願い求め、祈り続けます。それはこの世に建てられた教会に神様が求めておられることです。唯一の神様が、すべての人々を愛し、救おうとしておられることを、私たちは覚え続け、すべての人々のために祈り続けてまいりましょう。
牧師 杉山望
※このホームページ内の聖句は すべて『聖書 新共同訳』(c)日本聖書協会 から引用しています。
(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
参考書籍・サイト
『新共同訳 新約聖書略解』山内眞監修、日本基督教団出版局、2000年
『NTD新約聖書註解(9) テモテへの手紙 テトスへの手紙 ヘブライ人への手紙』泉治典・大友陽子・木幡藤子・関根正雄・高橋三郎訳、NTD新約聖書註解刊行会、1975年
※Mariana VartaciによるPixabayからの画像

