礼拝メッセージ(2026年5月24日)「敬虔の方向に鍛えなさい」テモテへの手紙一 4章6~16節

社会や環境の変化と教会

先週も異常な天気でした。まだ5月なのに30℃を超える真夏日が続いたかと思ったら、翌日には最高気温が10℃以上も下がりました。まるでジェットコースターに乗っているかのような急激な変化は体への負担が大きすぎます。体調を崩された方もおられるかと思います。

このような異常な天気は気候変動によるものです。気候変動がさらに進んでいくと、日本では四季がなくなり、夏と冬だけの二季になると言われています。春らしい気持ちのいい天気が少なくなり、夏が長くなり、極端な天気が増えていることを実感します。

さらに今年は“スーパーエルニーニョ”が発生する可能性が高いようです。“エルニーニョ”とはスペイン語で「幼子イエス」という意味ですが、クリスマスの時期に初めてこの現象が観測されたためにこのような名前がつけられたそうです。

エルニーニョ現象が発生すると、太平洋の赤道付近の海水温が上がり、世界各地で干ばつや洪水などをもたらします。日本では夏の気温が下がり、雨が多くなる傾向がありました。しかし“スーパーエルニーニョ”では、むしろ猛暑になるようです。通常のエルニーニョでは海水温の上昇も0.5℃程度ですが、スーパーエルニーニョでは2℃以上、もしかしたら3℃ほども高くなるからです。

このような気候変動によって、農作物への被害が広がっています。日本でも近年、気温上昇や雨の降り方の変化、害虫の増加などによって様々な被害が出ました。被害は日本だけではなくて、世界各地で大規模な洪水や干ばつ、異常な高温や水不足などが起こり、収穫量が減少している作物が増えています。

それに加えて、今年はホルムズ海峡封鎖の影響が出てきます。農作業に使う原油価格の高騰に加えて、化石燃料から作られる化学肥料の生産量が減り、肥料価格が高くなっています。そのため、9月か10月には世界の多くの地域で食糧不足が起こると警告されています。日本でも食料品の価格が上がることは避けられないかもしれません。

気候変動は今後さらに加速していきますし、世界情勢も不安定な状態が続きそうです。その影響は私たちの生活にも、また世界中の人々の生活にも及びます。教会も社会や環境とつながっており、社会や環境に大きな変化が起これば教会にも必ず影響が生じます。ですから、このような時代には特に、社会や環境の変化に目を向けることが、教会にとっても必要なことだと考えています。

感謝と悔い改めという敬虔

これからの世界では、何を食べられるかという問題が生じてきますが、エフェソの教会では違った問題が生じていました。それは、「ある種の食物を断つ」(4章3節)ことです。どうやらパウロが伝えた教えとは異なることを教える人たちがいたようで、その教えの中には食べ物の制限など、禁欲的な教えが含まれていたようです。

断食というのは、旧約聖書のときから行われていたことです。イエス様も宣教活動を始める前に、荒野で断食をしておられました。ですから、断食とか、何かを食べないということも役に立つ場合があります。しかしこの場合の異なる教えは、禁欲的な生活を送ることで、自分自身を清め、救うことができる、というものだったようです。

そこで見落とされていたのは神様に対する敬虔さでした。新共同訳では「信心」と訳されている言葉で、テモテへの手紙やテトスへの手紙で繰り返し語られています。敬虔というのは、心の状態ではなくて、生活態度を指す言葉です。ただしそれは、神様への感謝と悔い改めとして表される生活態度です。

3章16節では、「信心の秘められた真理」として、キリスト賛歌が示されています。イエス・キリストがなされた十字架と復活の御業が敬虔の土台となります。しかし異なる教えを語った偽教師たちは、見かけ上は敬虔に見せながら、しかし実際には敬虔を否定しています。自分の罪に目を向けず、神様による救いを感謝せず、自らの鍛錬によって救いを得ようとしているからです。

これと似たようなことが、現在の気候危機への対応にも表れています。気候危機への対応策として、技術革新によって気候を人工的に管理しようという考えがあります。それは太陽光を遮ったり、二酸化酸素を回収したりする技術によって、地球の温度を下げようというものです。まさに人間の力・努力・技術によって自分たちを救おうとする試みです。

ただしそのような技術が本当に効果を出せるのか、環境や生物に悪影響が出ないのか、といった疑問は解消されていません。人間には地球環境のほんの一部しか理解できませんし、これまでも予想外の悪影響が出ることを繰り返してきましたので、私は気候危機を技術革新によって乗り越えようとする試みを信用することができません。

むしろ今求められていることは、これまで与えられてきた数えきれない恵みへの感謝を思い起こすことと、神様の創られた生命や環境を壊してきてしまったことを悔い改めることだと思います。

地球の気温が上昇する以前、約1万年の間、地球の気温は例外的にほとんど安定していました。そのため、毎年同じ時期に同じような気温や天気が来るようになり、人類は農業を始め、食料を確保できるようになり、生活を豊かにすることができるようになりました。

降り注ぐ雨も、豊かな土壌も、様々な動植物も、どれ一つ私たちが創り出したものではなく、与えられ、利用することが許されてきたものでした。また、私たちの生活は化石燃料に頼っていますが、それは遥か古代の動植物がもとになり、途方もない時間をかけて作られたものでした。

私たちが体を鍛え、努力を重ね、技術を開発することは、もちろん役に立つことです。しかしそれだけではうまくいかないことを、現在の気候危機が証明しています。私たち人間には、敬虔であることが必要でした。その敬虔な態度とは感謝と悔い改めに基づくものであり、それがこの世と来たるべき世での命へとつながっていくのではないかと思います。

見せかけの敬虔への非難

一方でパウロは見せかけの敬虔を批判します。偽りの教えを語る偽教師たちも、禁欲的な生活を行うなど、敬虔な態度に見えたかもしれませんが、それは良しとはされません。同じように、マタイによる福音書では、イエス様が律法学者とファリサイ派を批判しています。

彼らは人に良く見られようとして律法を守り、献げ物もしっかり捧げていました。しかし人には重荷を負わせ、正義や慈悲、誠実はないがしろにしていました。そんな彼らのことをイエス様は、「外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている」と言って厳しく非難しました。(マタイによる福音書23章28節)

旧約聖書では、預言者エレミヤが見せかけの敬虔を批判する神様の言葉を伝えています。

「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。」(エレミヤ書7章2~4節)

パウロが語ったように、敬虔の方向に自分を鍛えることは大切です。ただしそれは、自分をよく見せようとするものではありませんし、神様から恵みをいただくための条件でもありません。人から見える外側だけでなく、それ以上に内側が重要です。神様の言葉を聞き、感謝と悔い改めをもって主の道へと自分の道と行いを正すことが大切です。

エルサレムの神殿でも、礼拝と献げ物が行われていました。しかしそれが見せかけの敬虔となり、傷つき苦しむ人びとが見捨てられていたために、「主の神殿」と叫ぶ声はむなしい言葉となりました。教会も礼拝をしているだけで敬虔であるとは言えません。感謝と悔い改めに基づいた敬虔へと向かっていくことが必要です。

教会が伝えること

敬虔の土台となる感謝と悔い改めは、まず神様に向かいます。主イエスの十字架の贖いと復活の希望。神様の変わらない愛と溢れるほどの恵み。そして聖霊の助けと導きに、私たちは感謝します。同時に、その神様の期待に背き、道を外れてしまう私たちの罪を悔い改めます。

しかし感謝と悔い改めは、神様との関係だけでなく、人と人との関係や、人と他の被造物――動植物や環境など――との関係にも大切です。それらのどの関係も傷ついており、どの関係もイエス様による和解の対象となっています。

最近、あるクリスチャンの方のお話をお聞きしました。もう何十年も信仰生活を送って来られた方ですが、周りの人たちとの関係のことで悩み、苦しんでおられます。そのような中で、讃美歌を歌い、神様の助けを求めて祈っておられます。聖書の言葉を思い起こして、それに力づけられてもいます。

ただ気になったのは、その方が神様の方しか向いていないのではないか、ということです。讃美や祈り、御言葉が、周りの人たちとの関係につながっておらず、求めることは多くても、感謝や悔い改めの方向にはあまり向いていないように感じられました。

これまで教会で教えられてきたこととして、自分の罪のことや神様の救いへの感謝はもっておられますが、人との関係において悔い改めや感謝ということにはあまり目が向かないのかもしれません。神様に目を向けることが、人から目を逸らすことになっているとしたら、それはイエス様が伝えた信仰とは違っているのではないでしょうか。

教会が伝えるべきことは何でしょうか。神様にだけ感謝をしたり、神様との関係だけを悔い改めたりすることでしょうか。それでは教会はこの世とは関係のない場所になってしまいます。教会が伝えることは、神様に対しても、またこの世の中でも、感謝と悔い改めの姿勢をもって生きること――敬虔な態度の大切さ――ではないでしょうか。

神様の恵みは、様々な人を通して、また地球の環境を通して与えられてきました。そこにある関係を傷つけてしまうことも、私たちの罪だと言えるでしょう。すべての人の救い主である神様は、誰もが感謝と悔い改めをもって生きることを望んでおられます。そうなることが命を約束し、すべての点で益となることへとつながっていくのです。

牧師 杉山望

※このホームページ内の聖句は すべて『聖書 新共同訳』(c)日本聖書協会 から引用しています。

 (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation

 (c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

参考書籍・サイト

『新共同訳 新約聖書略解』山内眞監修、日本基督教団出版局、2000年

『NTD新約聖書註解(9) テモテへの手紙 テトスへの手紙 ヘブライ人への手紙』泉治典・大友陽子・木幡藤子・関根正雄・高橋三郎訳、NTD新約聖書註解刊行会、1975年

『ギリシア語 新約聖書釈義辞典Ⅱ』荒井献・H.J.マルクス監修、教文館、1994年

『聖書大事典』旧約新約聖書大事典編集委員会、教文館、1989年

Sasin TipchaiによるPixabayからの画像