礼拝メッセージ(2026年6月28日)「悪い時に語られる御言葉」テモテへの手紙二 4章1~8節

悪い時でも御言葉を伝える宣教者
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」(テモテへの手紙二 4章2節)
手紙を通してテモテを諭し、励ましてきたパウロが最後に伝えたことは、時が悪くても御言葉を宣べ伝えることでした。パウロもテモテも悪い時を経験しました。パウロは獄中に捕らえられており、「わたし自身は、……世を去る時が近づきました」(6節)と言うように、自分に死が迫っていることを感じていました。
テモテはエフェソの教会で異なる教えを説く者たちの問題に悩まされていました。教会が分断され、生活が乱れ、金銭トラブルまで引き起こされるような状況だったようです。テモテはこのよう状況にうまく対処できず、弱気になっていました。パウロは捕らわれていたため、助けに来てくれることを期待することはできませんでした。
そんなテモテをパウロは叱咤激励します。
「あなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。」(テモテへの手紙二 4章5節)
良い時だけでなく、たとえ悪い時であっても、自分に託された福音宣教者としての務めを果たすように、とパウロは励まします。パウロ自身、何度も迫害を受けながら、苦難に立ち向かい、宣教活動を続けてきました。どんな場合でも御言葉を宣べ伝えること、自分の務めを果たすことは、パウロ自身が行ってきたことでした。
自分の務めがうまく進まない時の励ましは、場合によっては辛く苦しいこともあるでしょう。パウロの励ましをテモテがどのように受け止めたのかはわかりません。ただパウロはテモテが自分の務めを果たしてくれると期待し、信頼していたのでしょう。テモテには賜物が与えられていましたし、テモテを召し出したのは神様だという確信が、その期待と信頼を生んでいたのでしょう。
良い時だけでなく、悪い時でも御言葉を宣べ伝え、自分の務めを果たそうとしたパウロと、それに倣うように教えられたテモテ。彼らと同じように、悪い時でも御言葉を宣べ伝えた多くの福音宣教者がいました。今、神学校で学んでいる神学生たちも同じ道を歩もうとしています。私たちも神学生と神学校を覚えて祈り支えましょう。
とがめ、戒め、励ます御言葉
ここでパウロは「とがめ、戒め、励ましなさい」と伝えています。御言葉を宣べ伝えることがいつも、とがめ、戒め、励ますこととは限りません。慰め、助け、力を与えることもあります。ただこの時は「悪い時」でした。悪い時に伝える御言葉には、とがめ、戒め、励ますことが必要となるのでしょう。
テモテの場合とは状況が異なりますが、悪い時に御言葉を宣べ伝えた人物として、預言者エレミヤのことが思い浮かびます。エレミヤが預言をしたのは、エルサレムがバビロニア軍によって包囲されるという最悪の状況でした。エレミヤはこの状況がイスラエルの罪によるものだと語り、国の滅亡を懲らしめとして受け入れるようにと宣べ伝えました。
しかし多くの人はエレミヤの言葉を受け入れず、他の預言者の言葉を聞いていました。他の預言者はエレミヤとは異なり、国が滅びることはないと告げました。その様子を神様はこのように語っています。
「彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して/平和がないのに、『平和、平和』という。」(エレミヤ書6章14節)
神様が伝えようとすることとは真逆のことを語った預言者を、神様は「偽預言者」と呼び、厳しく批判しました。偽預言者はイスラエルの人々にとって都合の良いことを語りました。しかしそれは神様が伝えようとしたことではなく、人々が聞きたかったことでした。
テモテが対決していた異なる教えを説く者たちも、教会の人々が聞きたがることを語ったようです。
「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。」(テモテへの手紙二 4章3~4節)
誰だって都合の良いことを聞きたいものです。暗い話や厳しい教えよりも、楽しい話や安心させてくれる教えの方が好まれます。けれども、悪い時に語られる神様の御言葉は、とがめ、戒め、励まします。人が神様へと向き直し、命の危機を回避し、壊れた関係を作り直すためには、過ちをとがめ、戒めを教え、新たな生命に生きるように励ますことが必要だからです。
現在も悪い時
時が良くても悪くても御言葉を宣べ伝えなさい、というときの「良い時」と「悪い時」とはどのようなことなのでしょうか。私は宣教が受け入れられ、教勢が伸びやすいのが「良い時」であり、その反対が「悪い時」かと思っていました。
しかしテモテは教会の中で、エレミヤはイスラエルの中で問題に直面していました。ということは、ここでは教会の中も外も関係なく、神様の御心に適って歩んでいるか、神様の忠告に耳を傾け、応答しようとしているか、ということが問題とされているのではないでしょうか。
それは教勢の増減よりも大きな事柄に関心が向けられていることを意味します。人と人が分断され、生活が乱れていないか。社会が危機に瀕していないか、その問題から目を逸らし、さらに深刻な危機へと向かってはいないか。そのようなことが時の良し悪しを分けるものだと思います。
今は良い時でしょうか、悪い時でしょうか。私はかなり悪い時だと感じています。富の一極集中が加速し、格差が拡大しています。国際秩序も崩壊しつつあり、大国が絡む軍事衝突が起こり、エネルギーや食糧など物資の流れも混乱しています。それらと関連しつつ、排外主義も広がる一方で、少子高齢化によって社会の維持が大きな課題となっています。
もっと色々な問題も上げることができますが、これらの問題とも絡み合いながら、深刻度を増しているのは気候変動の影響です。今年も既にヨーロッパ各地に記録的な熱波が襲い掛かったり、中国や日本では大雨による水害が発生したりしています。毎年、世界中で災害が起こるようになっていますが、災害の頻度や強度も強まっているように感じています。
さらに今年はエルニーニョ現象が史上最強レベルの“スーパーエルニーニョ”にまで発展することが予想されています。“スーパーエルニーニョ”の影響は一過性のものではなく、平均気温が一段階上昇するなど、気候バランスがさらに崩れてしまうと言われています。
しかしアメリカのトランプ大統領は、気候変動が起こっていることを否定しています。気候変動対策に否定的な立場を表明した南部バプテスト連盟にとって、それは都合の良い言葉でした。アメリカの製造業やエネルギー産業にとっても、それは都合の良い言葉でした。けれども今、これらの危機の中で神様が語っておられる御言葉は、人々が聞きたいと思う「都合の良い言葉」ではなく、「とがめ、戒め、励ます」御言葉なのではないでしょうか。
希望に励まされて
パウロ自身、過ちを咎め、戒めを教えられてきました。しかしそれと共に新たな生命に生きるようにと励まされてきました。テモテへの手紙でも、彼は主イエスが再び来られる日に義の栄冠を受けることへの希望を語っています。そしてその栄冠は、テモテにも、また主を待ち望む人にも与えられるものだと言います。
滅亡を懲らしめとして受け入れることを宣べ伝えたエレミヤも、希望を語りました。
「主はこう言われる。ラマで声が聞こえる/苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む/息子たちはもういないのだから。
主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言わ
る。息子たちは敵の国から帰って来る。
あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。」(エレミヤ書31章15~17節)
パウロもエレミヤも、主から希望を示されたので、励ましとなる希望を伝えることができました。ただその希望の言葉は、罪のとがめを抜きにした都合の良い言葉ではありません。主の戒めを抜きにした好き勝手な作り話でもありません。この希望は主のもとへ立ち返り、主の戒めを心に刻むことで、新たな生命を生きるという希望なのです。
それは「新しい契約」だと神様は教えてくださいました。
「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神とな り、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ書31章33節)
私たちに新しい生命を与え、新しい契約によって神様と結び合わせるのは、都合の良い言葉ではありません。悪い時に語られる御言葉は、私たちをとがめ、戒めます。なぜ今が悪い時になってしまったのかを考え、神様から離れてしまっていた過ちに築かされ、神様の御心を求めて悔い改めることが求められます。
そうするときには、神様は希望を指し示し、私たちを励ましてくださいます。神様の指し示す希望は、人間が創り出した様々な問題が取り除かれ、神様が与えてくださった祝福と恵みが回復し、すべての被造物の命が豊かに増し加えられる良い時の到来を告げます。それは今の問題が一度に解決することではありませんが、深刻な問題を受け止めながら、なお希望をもって歩み続けるように導くのです。
私たちも世の人々と共に過ちをとがめる声を受け止めます。また、人と人、人と被造物が良い関係を築いていくために、神様の戒めを学びます。そして悪い時となってしまったこの時代の中で、なお希望を持ちながら、主イエスと共に歩み続けます。そのような神様の御言葉を教会は宣べ伝えていくのです。
牧師 杉山望
※このホームページ内の聖句は すべて『聖書 新共同訳』(c)日本聖書協会 から引用しています。
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(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
参考書籍・サイト
『新共同訳 新約聖書略解』山内眞監修、日本基督教団出版局、2000年

