礼拝メッセージ(2026年7月5日)「引き上げる神」サムエル記上 1章1~20節

社会的地位を失ったハンナ
サムエル記は、古代イスラエルに王が立てられ、国家が作られていく時代を描いています。主な登場人物はサムエルとサウルとダビデの3人です。イスラエルにとって大きな転換期となった時代ですが、国や民族全体の動きよりも、この3人が何を考え、どのように行動し、神様とどんな関係を持っていたか、ということが中心的に描かれています。王として選ばれた者たちも美化されず、悩み、苦しみ、過ちを犯すありのままの姿が描かれています。
そんなサムエル記は、サムエルの誕生物語から始まります。サムエルの母ハンナには、長い間、子どもが与えられませんでした。当時の社会では、子ども――特に男の子――が与えられないのは、神様からの祝福が拒まれている状態だと見なされました。それはその女性にとって恥となりましたし、家庭内での地位と安全を揺るがす死活問題となりました。
ハンナの夫であるエルカナには、ペニナという妻もいました。ペニナは息子や娘を何人も産んでいたようです。そのため家庭内ではペニナはハンナよりも優位な立場にいました。その一方、エルカナはハンナを特別扱いしていた様子も伺えます。ペニナはハンナを憎んで自分の敵とみなし、ハンナを罵ったり、蔑んだりしていたようです。
家庭内のいざこざが一層際立ったのが、年に一度、シロという町に上り、神殿でいけにえを献げるときでした。いけにえの一部は自分たちの取り分として受け取り、家族で一緒にお祝いの食事をしたのです。男性は女性や子どもとは別に食事をするのが通常でしたので、家族全員が顔を合わせる食事の席は、このお祝いの食事だけだったのかもしれません。
全員が集まるからこそ、一層、ハンナに対するペニナの優位性が明らかになります。一方では何人もの子どもたちを連れているペニナがいて、他方にはただ一人だけのハンナがいます。ペニナは傲り高ぶり、ハンナをあざ笑ったのでしょう。ハンナはペニナのことで苦しみ、悩み、せっかくの特別な食事を前にしても食欲がすっかり失せてしまっていました。
そんなハンナを見て、夫であるエルカナは彼女を慰めようとします。けれども、「わたしはあなたにとって十人の息子にもまさるではないか」(8節)という彼の言葉はハンナの心に響かなかったようです。ハンナはそこを離れて主の神殿へと出かけていきました。社会的な地位を失っていたハンナは、悩み苦しみながら主のもとへと向かっていきます。
願いを聞かれたハンナ
神殿の前にやってきたハンナは、「悩み嘆いて主に祈り、激しく泣」きました(10節)。子どもを産むことは自分の意志ではどうにもならないことですが、そのことでハンナにどれほど大きなプレッシャーがかかっていたのか、どれほどハンナを苦しめ悩ませていたのか、ということがうかがえます。
ハンナは主の前で祈り続けました。これまで自分が抱えてきた思いのすべてを注ぎだすように。ペニナに罵られ、自分の存在価値もわからなくなり、家庭の中に居場所もなく、しかしそこから逃げ出すこともできない。八方ふさがりの中で負いきれない重荷に押しつぶされそうになってきた。そこから救い出してほしいという心からの願いを主の御前に注ぎだしたのです。
そんなハンナの様子を見ている人がいました。神殿で仕えていた祭司のエリです。彼は神殿の柱の近くに座っていましたが、ハンナがいつまでも祈り続けるのを見て不思議に思いました。その頃は祈るときは声を出すのが普通でしたが、ハンナの声は聞こえませんでした。そのためエリはハンナが酔っ払って変なことをしているのだと誤解してしまいました。
エリはハンナに声を掛け、酔いを醒ましてくるようにとたしなめました。ハンナは誤解を解こうとしてエリに答えました。
「いいえ、祭司様、違います。わたしは深い悩みを持った女です。ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません。ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました。はしためを堕落した女だと誤解なさらないでください。今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです。」(サムエル記上 1章15~16節)
ハンナの誠実で謙虚な姿勢を認めたエリは、彼女の願いがかなえられることを祈り、保証する言葉をかけました。主にすべてを打ち明け、エリの言葉で安心したハンナは落ち着きを取り戻し、家族のもとへ戻って行きました。
ハンナの表情はすっかり変わっていました。ついさっきまで悩み苦しみ、食事もできないほどに落ち込んでいたのが噓のように、すっかり落ち着き、晴れ晴れとして、食事もとることができました。その後、ハンナは身ごもり、男の子を産みました。神様が願いに応えてくださったことを忘れないように、その子には「その名は神」という意味の“サムエル”という名をつけました。
引き上げる神様
ハンナは一つの誓いを立てていました。それは男の子が与えられたなら、その子の一生を主に捧げるというものでした。
「万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることな く、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません。」(サムエル上 1章11節)
頭にかみそりを当てないというのは、神様のために聖別された“ナジル人”の特徴の一つです。サムエルは神様に特別に仕える者として生まれたのです。
ハンナはサムエルが乳離れする3歳のころに、サムエルを祭司エリに預けました。息子を与えられたといっても、サムエルがエルカナ一家の跡継ぎになるわけではありませんし、ハンナは家庭内で再び一人になったかもしれません。ペニナと仲良くなったということも考えづらいことでしょう。
それでもハンナは家族の中での地位を回復したことでしょう。もはや「不妊の女」というレッテルは貼られません。ハンナも主の祝福を授かっていることは明らかになりました。おそらくペニナとも対等に向き合うことができるようになったでしょう。
エルカナの一家が毎年、ささげていたいけにえは「和解の献げ物」でした。それは神様の恵みと罪の赦しを感謝するものですが、神様と人との親密な交わりを表す食事の場で、家庭内のいざこざが明らかにされてきました。
神様は地位を失い、悩み苦しんでいたハンナの願いをかなえられました。そうすることでハンナを引き上げたのです。それは彼女を敵視していたペニナよりも上ではないとしても、ペニナと向き合えるほどに引き上げてくださったのです。虐げられていた人たちが引き上げられ、敵対していた者と向き合い、共に生きられるようにする。それも神様が生み出される和解なのではないでしょうか。
ハンナの息子であるサムエルは、最後の士師としてイスラエルを導く者となります。また、神様の言葉を伝え、御心を実行する預言者として、彼はサウルとダビデをイスラエルの王として立てることになります。
王国が作られても、聖書が伝えるイスラエルの歴史は神様が何を語り、何を行い、何を成し遂げようとしておられたのか、ということを証しするものです。それはハンナに現わされた神様の祝福と同じ方向を向いているものでしょう。
神様は悩み苦しむ人びとの祈りを受け止めてくださいます。心からの願いに応え、恵みを与えてくださいます。そうすることによって、地位を失ったり、虐げられていたりする人びとを引き上げ、敵対する者たちの関係を新たに作り変え、共に生きられる道を開いてくださいます。神様が成し遂げようとすることは、征服や支配ではありません。神様は和解を生み出す方なのです。
牧師 杉山望
※このホームページ内の聖句は すべて『聖書 新共同訳』(c)日本聖書協会 から引用しています。
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(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
参考書籍・サイト
『ATD旧約聖書註解(7) サムエル記 上』ハンス・ヴィルヘルム・ヘルツベルク、山我哲雄訳、ATD・NTD聖書註解刊行会、1996年
『新共同訳 旧約聖書略解』木田献一監修、日本キリスト教団出版局、2001年

