礼拝メッセージ(2026年6月7日)「私たちの内に宿る聖霊」テモテへの手紙二 1章3~14節

体内に宿る微生物
私の息子は生き物が大好きです。家ではもう4~5年ほどカブトムシを飼っていますし、昨日は道端でゴマダラカミキリを見つけました。アパートに巣を作ったツバメのヒナが育っていく様子も見守っていました。街中で暮らしているとあまり生き物の存在を感じませんが、息子を通して地球上には色々な生き物がいることに気づかされています。それらの生き物の存在は、私たちに人間が生きていくために必要な水や食料、様ざまな資源や安定した気候にとっても大切な存在です。
私たちが生きていくために大切な生き物は、私たちの周りにいるだけではありません。私たちの体の中にも実はたくさんの生き物が宿っています。目には見えない微生物が、一人の人間の体に数十兆から数百兆個も存在しているといわれています。中でも多くの微生物が存在しているのは大腸で、ビフィズス菌とか乳酸菌など、聞き覚えのあるものも含めて、数百種の微生物が存在しているそうです。
これらの微生物は、食物繊維などを分解して消化を助けてくれたり、私たちに必要なビタミンを作り出してくれたり、体の免疫システムがうまく反応するように助けてくれたりしています。微生物は人間の体の中で生きることができて、私たちも微生物に助けられて生きることができる、という共生関係があるわけです。
そんな微生物は、始めから私たちの体の中にいたわけではありません。子宮の中は無菌状態なので、生まれる前には微生物は宿っていません。生まれる時から、空気や食べ物、周りの人との接触などを通して多くの微生物と接し、体内に微生物が宿っていきます。
体内に宿った微生物のバランスは、いつも同じ状態ではなく、毎日の食事やストレス、年齢や薬の影響によって変化しています。バランスが崩れれば体調も悪くなりますし、食生活や適度な運動によって微生物のバランスを整えることが健康にもつながります。
信仰や聖霊も宿る
私たちの体と、体内に宿る微生物の関係は、私たちの魂と、信仰や聖霊との関係にも似ているところがあります。パウロはテモテに宿っている信仰について、5節でこのように語っています。
「そして、あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています。」(テモテへの手紙二 1章5節)
まず祖母ロイスと母エウニケに宿った信仰が、孫であり、息子であるテモテにも宿りました。信仰は生まれる前から宿っているわけではなく、人生の様々な経験と、色々な人との出会いや関わりを通して、信仰が宿っていきます。
またここでは、テモテが信仰を「持つ」のではなく、テモテに信仰が「宿る」と言われています。信仰が持てるものであれば、それは私たちのものであり、思い通りにすることができます。しかし、信仰が宿るものであるならば、信仰は私たちの所有物ではなく、信仰自体に意志がある、と言えるかもしれます。
パウロは14節で、私たちの内に宿る「聖霊」についても語っています。とすると、ここでの「信仰」は、「聖霊」と重なります。思いのままに吹く聖霊が私たちの内に宿っている。同じように信仰も私たちの内に宿っている。私たちの内に宿った聖霊や信仰は、私たちの想い通りにはならないけれども、私たちの魂を守り、また燃え立たせてくださる存在です。
一度、私たちの内に信仰が宿っても、それで私たちが完全な者になるわけではありません。信仰が弱まることもあれば、信仰が離れていくことも起こりえます。霊の食べ物である御言葉から離れたり、逆境の中で過剰なストレスにさらされたりするときには、信仰が離れやすいかもしれません。テモテもまさにそのような状況に置かれていたのでしょう。
だからパウロはテモテを励ますために、この手紙を書きました。パウロの祈りと関わり、またテモテの決心と行動、さらには周りの人たちの信仰と愛が、テモテの信仰を再び燃え立たせることを、パウロは信じ、また期待していたのです。
罪もサタンも宿る
しかし、私たちに宿るのは信仰や聖霊だけではありません。腸内の微生物にも善玉菌と悪玉菌がいるように、私たちに宿るのは信仰や聖霊だけでなく、罪やサタンも宿るとパウロは語っています。
「わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。」(ローマの信徒への手紙7章18~20節)
また、福音書では悪霊に取りつかれた人の話がいくつもありますし、サタンがイスカリオテのユダの中に入ったために、イエス様を裏切ったということも書かれています。器である私たちには、良いものばかりでなく、悪いものも入ってしまう。善を行わせる信仰や聖霊だけでなく、悪を行わせる罪やサタンも入ってしまうのです。
パウロが告白していることにはとても共感できます。善を行おうという意志はあるのに、それが実行できない。その反対に、やってはいけないとわかっている悪を行ってしまうこともある。自分の意志や想い、考えや決意に反して、悪いことや間違っていることを行ってしまうことは、おそらく誰にでもあるでしょう。
息子が通っている小学校では、「自分を鍛える」ということを合い言葉にしており、「当たり前のことが当たり前にできる」ようになることを今年の目標として掲げています。それは大切なことですが、大人になっても難しいことだとも思います。やるべきこと、やった方がいいこと、正しいこと、善いことを当たり前にできるようになろう。そのために自分を鍛えようと思っても、そうできないことはありますし、できないことの方が多いかもしれません。
そんな私たちのあり様を、パウロは罪が宿っている状態と捉えました。それは自分の意志の通りにはできなくなり、サタンによって支配されて望まないことを行わされているかのような状態です。パウロは自分の体験も通して、人間の意志よりも強い力の存在を感じており、それが悪を行わせようとする罪やサタンの力だと語っているのだと思います。
内に宿った聖霊の助け
神様は私たちの弱さをご存知であり、罪が宿ってしまう私たちをそこから救い、呼び出してくださいます。それが神様の計画と恵みです。
「神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの 行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。」(テモテへの手紙二 1章9節)
そのために神様は聖霊を私たちに送ってくださり、信仰を宿らせてくださいました。神様は私たちにもイエス様の福音を委ねてくださいました。その福音を守ることは、私たち自身の意志や力によるのではなく、私たちの内に宿る聖霊によって守るようにと、パウロは勧めています。神様が送ってくださった聖霊は、「おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊」だから信頼できます。
私たちは一人でサタンに立ち向かい、打ち勝つことが求められているのではありません。私たちの内に聖霊が宿り、その聖霊の助けによって戦うように招かれているのです。そのために、パウロがテモテに「わたしから聞いた健全な言葉を手本としなさい」と語ったように、御言葉を聞き、イエス様の教えを心に留めることが大切です。
また、パウロがテモテのために祈っていたように、互いに祈り合い、励まし合うことも必要です。信仰は独りで見つけ、勝ち取るものではなく、様々な出来事や人との関わりから宿ってきたものでした。人生の経験を通して気づかされたことを証ししあい、神様のご計画と恵みに目を向けてまいりましょう。
信仰は、時には弱まり、時には消えかかることさえあるかもしれません。しかしこのような歩みの中で、私たちの内に宿る聖霊が信仰を再び燃え立たせ、イエス様によって与えられた信仰と愛をもって何度でも歩み出すことができることを信じたいと思います。
牧師 杉山望
※このホームページ内の聖句は すべて『聖書 新共同訳』(c)日本聖書協会 から引用しています。
(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
参考書籍・サイト
『新共同訳 新約聖書略解』山内眞監修、日本基督教団出版局、2000年
『ギリシア語 新約聖書釈義辞典Ⅰ』荒井献・H.J.マルクス監修、教文館、1993年
※Gizelle KeiによるPixabayからの画像

