礼拝メッセージ(2026年8月2日)「正義・平和・被造世界」詩編72編1~17節

平和を奪うもの
太田教会では毎月、その月の聖書箇所やテーマに沿った応答讃美歌を選んでいます。8月は「平和」をテーマにしようと考えて、新生讃美歌の目次で「平和」という項目になっている讃美歌から選ぼうとしました。ただ最近、私の中で平和についての考え方が広がってきたこともあり、他の讃美歌も探してみようと思いました。
その中で見つけたのが『美しい大地は』という讃美歌です。これは日本基督教団が発行している『讃美歌21』の中にありました。作詞・作曲者はフィリピンで多くの讃美歌を作ったエレナ・G・マキソさんです。讃美歌を作った経緯はわかりませんが、歌詞を読む限り、おそらくフィリピンの人々の経験をもとにして作られた讃美歌なのだと思います。
教団では1954年に青い表紙の『讃美歌』を発行し、それが広く用いられてきました。しかしこの讃美歌を作った当時は、教会が侵略戦争に加担したことや、軍国主義を讃美する歌を作ったことの反省もなされていませんでした。また、讃美歌の内容も「教会の現実と使命にふさわしくないものを多く含んでいる」との批判が出てきたため、根本的な見直しがなされ、『讃美歌21』が作られることとなりました。
讃美歌委員会では、「平和と正義、人権、被造世界の回復・統合、差別等々の現実の諸課題に立ち向かう福音の証しの歌」がこれまでの讃美歌にはなかったことを痛感しました。そこで『讃美歌21』には、「正義・平和・被造世界」という項目が作られ、以前の讃美歌集にはなかった8曲の讃美歌が加えられました。『美しい大地は』もその中の一つです。
「正義・平和・被造世界」というテーマは聞き慣れない方も多いと思います。日本バプテスト連盟では「平和」については考え続けてきましたが、このような観点はもってきていません。「正義・平和・被造世界」というのは、超教派の世界教会協議会(WCC)などでは1980年代から取り上げられるようになったテーマです。現在では国内外の様々な教派・団体が信仰の課題として向き合っています。
そこには、平和というのは正義や環境の問題と切り離すことができないものだ、という気づきがありました。環境問題については、今まさに私たちが実感しているものです。毎年、40℃を超える熱波に襲われ、豪雨や水害の危険が隣り合わせとなっていることは、平和な生活を損ねるものでしょう。また町を焼き尽くす山火事や、集落を飲み込む海面上昇、水や食料の危機となる干ばつなども、人々から平和を奪っています。
平和を奪うものとして一番の過ちが戦争であることは変わりません。今もアメリカ、イスラエル、ロシアなどが始めた戦争・虐殺が多くの人の生命も生活も奪っています。ただ平和を奪うものはそれだけではなかったのです。神様の創られた被造世界が壊され、乱されることによっても、私たちから平和は奪われてしまいます。
神に倣うべき王の働き
詩編72編は新しい王の即位式で歌われた詩だと考えられています。王は神様から託された働きを担い、神様の御心を実行する代理人と見なされていました。そのような王の働きによって、正義が行われ、平和がもたらされるようにという願いがこの詩には表されています。
王に求められる正義とは、悪を打ち破るヒーローのようなものではありません。それは貧しい人々を助けることです。
「王が正しくあなたの民の訴えを取り上げ/あなたの貧しい人々を裁きますように。」(詩編72編2節)
「王が民を、この貧しい人々を治め/乏しい人の子らを救い/虐げる者を砕きますように。」(詩編72編4節)
王のような支配者、指導者に求められる政治は公正なものです。力ある者を優遇するのではなく、むしろ貧しい人々の訴えを聞き、必要を欠いている人々を助けるものでなければなりません。なぜなら、王の政治は神様の支配に倣うものでなければならず、神様は最も小さくされた一人にこそ目を向ける方だからです。
またここでは収穫の恵みに与ることができるように、との願いも祈られています。
「王が牧場に降る雨となり/地を潤す豊かな雨となりますように。」(詩編72編6節)
「この地には、一面に麦が育ち/山々の頂にまで波打ち/その実りはレバノンのように豊かで/町には人が地の青草ほどにも茂りますように。」(詩編72編16節)
一人の人間に過ぎない王が雨を降らせることはできませんが、王が神様に忠実であることで、神様が恵みの雨を降らせてくださる、ということは期待されていたのでしょう。王による平和な支配には、人々が満たされるほどの収穫が得られることも欠かせません。ここでも平和は地の実りを生み出す環境と関わるものとされています。
詩の中には、王の支配が周辺諸国にも及ぶことを願う箇所もあります。しかしそれは無制限に支配を拡大し、世界を手中に収めようとするものではありません。それはサタンの誘惑です。神様が望んでおられることは、他国から搾取することによって繁栄することでも、強大な力を思いのままに振るうことでもありません。
大切なことは支配者、指導者となった人物が神様の支配に倣う者であるか、ということです。神様に従って貧しい人々も助ける政治を行い、豊かな実りを得られるように環境を整え、武力衝突のない関係を作っていく。そうすることによって人々に平和をもたらすことが、王に対する人々の願いであり、神様から託された王の働きなのです。
包括的な平和
ヘブライ語では「平和」を“シャローム”といいます。この“シャローム”は、単に戦争がない状態だけを指すのではありません。それは「神と人との関係があるべき関係になっており、神のみ旨に従った秩序をもって、人間がすべての被造物を用いている状態」*をさしています。聖書において平和(シャローム)というのは、戦争がない状態と共に、神と人、人と人、人と被造物との多様な関係を包括的に含んでいる言葉なのです。
詩編72編で願われていたような王の支配が完全に行われたことは、おそらく歴史上一度もなかったことでしょう。すべての関係があるべきものとなった平和(シャローム)の完成も、人間の手によって実現できるものではなく、救い主の到来によって実現される終末的な出来事として考えられます。
それでも聖書は平和を望み、支配者、指導者たちが平和の実現に向けて自らの使命を果たすように求めています。完全にはなれなくても、神様が示された平和に可能な限り近づいていこうとすること、この世において平和を実現しようと努めることが、支配者、指導者たちに神様が求めていることであり、私たちも含めた多くの人が祈り願うものです。
平和は包括的なものであるため、何かが満たされていても、他の部分が欠けていると、平和は損なわれてしまいます。物に溢れていても、戦争が起これば平和は失われます。逆に戦争が起こっていなくても、異常気象が多発し、水や食料の危機が生じれば、やはり平和は失われてしまうでしょう。
私たちは平和を求めます。戦争が起こされないこと、既に起きてしまった戦争が止められることを願います。それと共に、正義が行われ、すべての人の生活が守られること。神様の創られた環境・被造世界が回復し、衣食住も十分に満たされること、なども、平和のために必要なこととして願い求めたいと思います。その中の一部でも、私たちにできることがあれば、平和へと向かうために、私たちも主に倣い、主と共に歩んでいきたいと思います。
牧師 杉山望
*Laudate 「キリスト教マメ知識」 https://www.pauline.or.jp/chripedia/mame_Sharomu.php 2026/8/1
※このホームページ内の聖句は すべて『聖書 新共同訳』(c)日本聖書協会 から引用しています。
(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
参考書籍・サイト
J.L.メイズ著、左近豊訳『現代聖書註解 詩編』日本基督教団出版局、2000年
木田献一監修『新共同訳 旧約聖書略解』日本キリスト教団出版局、2005年
関西学院大学キリスト教と文化研究センター編『キリスト教平和学事典』2009年
※Batatolis PanagiotisによるPixabayからの画像

